母に復讐をしているらしい話
もう年末ですね、いよいよ大晦日です。
年末にまでこんなブログを書くのはどうかと思うんだけど、どうしても今年中に書いておこうと思った。
年末のこの時期になると、増えてくるのが帰省やらなにやらの家族関係のことだ。
私の周囲もみんな帰省してるし、会社でも当然のように「帰省はいつからですか?」と当たり前のようにきかれる。
帰省して、家族と過ごすのが当たり前かのように。
私も大半は帰省して家族とすごすんだろうと思う。
無意識のうちにそういうイメージが植え付けられてる。
(ところで弊社のボーナス6万円でした、税金ひいたら5万以下。支給実績2ヶ月分って書いてあったのにな~!!!!!!!!!!!!!転職しよ。みんながんばろうね)
私も本音を言えば家族と過ごしたい。
重い荷物とお土産を抱えて、電車にのって駅に迎えにきてもらって、「おかえり!」って迎えてもらい、温かい部屋でみんなでわいわいご飯を食べたり、仕事の話とか友達の話とか好きな人の話したりゲームしたりしたい。
朝起きて、「おはよう」って言ってあったかいお茶飲みつつ庭を眺めて「雑草からなきゃなあ、でもめんどくさ」って面倒な現実から目を背けて、去年の新春番組の再放送を朝からダラダラとみていたい。
でも結局大掃除の手伝いをする、みたいな。
そういう年末を過ごしたい。
すごくそういうのに憧れがある。
じゃ、やればいーじゃんってなるかもしれないけど無理なのだ。
そんな帰省先はない。
一家四人…とはいっても父母は離婚していて私の戸籍は父にあるので、私・父・兄の3人構成だが、兄は父から逃げ出している。
私も父から逃げたので、3人バラバラ。
兄はどこに住んでるのか知らん。
母の住所も知らん。
私が住んでいる場所を知っているのは父だけだ。
でも絶対にあの家には戻らない。
父か私か、どっちかが死ぬまで行くことはないと思う。
こんな感じで一家離散型なので、集まるとかはありえないのだ。
私や母、兄が会うのは祖母の家でだ。
駅から遠くてバスも少ない。
ものすごく行動しづらい。
私が免許を持ってれば何も問題ないんだけど、NO免許な私は、どうしても祖母の家に行く時は誰かに迎えに来てもらわなきゃならない。
一旦祖母の家に行ってしまうと、他人に寄生するか家にずっといるしかない。
正直あまり居心地がよくない。最近。
必ず誰かの予定に合わせなきゃならないし、っていうか相手も私のために動かなきゃならない。
相手の負担や荷物になっているのが嫌だ。
あと最近は祖母も私が行っても自分の友達との予定を優先しているので、私がいかない方がいいんじゃないかなーと思う。
望まれてないなら存在する意味なんてない。
だから行きたくない。
それに、母のお荷物にもなりたくないし、会いたくない。
母のことすごくすごく好きなんだけど、私の方が好きだから、私は母の一番好きな人になれないから、だからそれならせめて不安になれっていうか、「好き」でいっぱいにならなくていいから、
「私が一人で寂しくて孤独で不安を紛らわすためにたくさん食べて吐いて惨めで情けない気持ちになっているこに絶望してくれ」
って思ってしまう。
あなたになんか会いたくない。
お母さんなんか私に望まれていないんだ。
あなたは私の幸福にならないんだ。
あなたは私を幸福にしようとしたのかもしれないが、あなたは私を苦しめれど私を幸せになんかしないんだ。
ざまぁみろ。
歪んでいるなと我ながら思うんだけど止められなくて
母から年始に旅行に誘われていたんだけど断った。
「旅行に行こうよ」
「行かない」
「仕事休めないの?行こうよ」
「行かない」
「なんで?どうして?最近帰ってこないし心配だよ」
今更遅い。
今更遅いんだよ。
小学生の私はもういないし、中学生の私はもういないし、高校生の私はもういないし大学生の私ももういない。
思えば小中学生の頃の私は聞き分けがよくて、というより諦めることにものすごく慣れていた。
寂しいとか悲しいとか苦しいとか、黙っていたし言わないことに慣れてた。
幼い私の方がずっと大人だ。
何度断っても母はおれなかった。
私も本当は旅行に行った方がいいのは分かってる。
でも意地になって断り続けた。
「お願いだから一緒に来てください」
そんな罪悪感を感じさせるような言い方はずるい。行かない。
「今まで家族旅行も連れて行ってあげられなかったから連れていきたいの」
おばあちゃんのために、でしょ?
私のためじゃない。
私だけのためじゃないなら行きたくない。
私だけのために動いてみてよ。
成人式とか卒業式とか、振袖着たかった袴は着たかったし望まれたかった。
大体私はもう24歳だよ、今更家族旅行って。
今更家族っぽいことしようとしたって遅いんだよ。
私はもうこの血縁関係に家族なんて求めてないんだ。
遅いよ、望まれないことに絶望しろ。
数日間断り続けて母がようやく折れた。
終わって楽になったなーと思うのと同時に悲しかった。自分で断っていたのに、やっぱり行けばよかったかなぁとかなんとか。
深夜、暗い部屋でぼんやりしていたら友達がSkypeとばしてくれた。
要約すると
「意地張ってないで無理しないで行ってきた方がいい。お母さんとちゃんと話した方がいいし、あったかいご飯食べてきてほしい」
ありがたくてめちゃめちゃ泣いた。
内心に抱えていたことを相談すると段々感情の整理ができてきたし、自分でも気付かないことに気づいた。
それが私が母に対して復讐していることらしいことだった。
私は母に対して冷たくすることを復讐だと思ってなかったのだが、友達に「復讐」と言われてとてもすとんと胸に落ちた。
あ、私、母に復讐してるんだ。そうなんだ。
ってすごく納得した。
それともう一つ
「自分がされて嫌なことってする側になったらすごく痛みがわかる。好きな人に同じことするの辛くないかな」
つらかった。
好きな人に冷たくしたり辛く当たるのは辛かった。
望まないのは辛かった。
好きな人に痛みを与えるのは辛かった。
いくら私が母を突き放しても悲しくて苦しくて開放されなかったのは、私が母のこと好きで仕方ないからなんだって改めて気づいた。
友達が助言してくれたので、深夜3時、即母に旅行にいけるってメールした。
あれだけ断り続けたのに、友達に助言されてコロッと意見を変えるのだから、他人の視点で大事だし、私のブログを読んでわざわざ深夜に声をかけてくれた友達に心から感謝を。
友達も忙しかっただろうし最近少し気まずかったから(自分のせい)、話しかけるのためらってたんだけど、そんな時でも気遣ってくれたので本当に感謝してる。
ありがとう。
旅行は楽しんでこようとおもう。
幸せって望まないとやってこないし。
望まずして幸福って得られないよね。
幸福を望むのは苦手かもしれないし、精神的に負担になるかもしれないけど、無理矢理にでも泣きながらでも私は私の幸福を望んでください。
多分そこに幸せがあります。
2018年、最後の記事でブログタイトルとも似合ったいい感じの締めくくりができたんじゃないでしょうか。
あ、あとそういえばクリスマスはとてもハッピーでした。クリスマス前もさっきの友達とホテルで贅沢をして、今月は幸せが多かったなぁとおもいます。
来年も幸せでありたいし、好きな人たちの幸福を祈ります。
みなさまよいお年を〜ありがとうございました。