ここに幸せがあります。

摂食障害が生きやすくなるためにすったもんだするブログです。

私はあなたの一番にはなれない

最近全然更新してなかった。

単純に書くのに割く時間がなかったからなんだけど、一旦更新を止めると次に何を書いたらいいのかわからんくなる。

単純に精神が安定してるってのもある。

相変わらず吐くのは変わってないけど、それで病んだりはしていない。

 

いや吐いてるんかい!

って感じだけど、私の過食嘔吐に関してはもう…なんていうのかな、ストレスを発散させるために依存しているものだから仕方ないのだ。(今のところはね)

タバコ吸ったりお酒飲んだりするのと同じようなものだ。

徐々に禁煙なり禁酒なりしようとしてるってだけ。

 

ただ、過食嘔吐の何が面倒くさいかって、タバコや酒は吸わなくても飲まなくても死なないし、口寂しいなら飴をなめるとか、タバコ・酒の代わりを作れる(満足感があるかどうかは別)

でも、食べ物って、「食べなきゃ死ぬ」から厄介だと思う。

絶対に断ち切れるものじゃない。タバコだけ吸って生きていけるわけでもなけりゃ酒だけ飲んで生きていけるわけでもない。

完全に断ち切ることができないからバランスをとるのが難しいなあと思う。

 

そもそも「食べて吐く」のは根底に「太りたくない」気持ちがあるからで、じゃあなんで「太りたくないのか」っていうと、体重が増えることでデブになることで愛されなくなる、承認されなくなる恐怖があるんだと思う。

友人各位は私が太ろうが太っていまいが、ガリガリだろうがなんだろうが態度を変えないと思うし実際に変わらなかった。

内心どう思っているかは分からないし、心配されたり、思うところはあると思う。

ただ「表面上」は変わらなかった、私に接する態度が変わることはなかった、私がどうなろうと、友人各位は仲良くしてくれた。

 

だからそこに関してはもう安心しているし、特に心配なこともないし友人各位には大感謝してる。

 

ただやっぱりネックになるのが家族関係で、母やら親類にどう思われるかが不安で仕方ない。

だって私がこうなったことで家族関係は明確に変わったからだ。

私は痩せほそったことで母に心配されるようになった、前よりも連絡が増えたしかまってもらえるし優しくしてもらえてる。

これが「愛されていること」の証明かどうかは分からないし、24歳にもなってまだ母親の愛情がほしいのかよって笑われそうだがほしいもんはほしい。

もっと「お母さんに愛されていること」の確証がほしいのだ。

 

でも多分それは無理だと思う。と、最近認めざるをえない。

私は「母親にとっての一番好きな存在」になりたいんだけど無理なのだ。

私はあの人の一番になれない。

あの人は私よりも自分の母であったり恋人の方が好きだし大事だと思う。

 

ずるい。ずるいずるいずるい。

 

おばあちゃんがずるい、私よりお母さんに大事にされるおばあちゃんがずるい。

母の恋人がずるい。私より財力も経験も知識もあって、お母さんに頼られて仲良くて、私にすら優しくしてくれて、私よりずっと長い時間母と過ごせる母の恋人がずるい。

 

ずるい。

 

みんな私より母に愛されてずるい。

 

私は成人式に行っていないので振袖を着ていないし、大学の卒業式にも行ってないので袴も着てない。

晴れの日を経験してない。

20代という若くて綺麗な瞬間、周囲が最大限に着飾り晴れ姿をのこすなか、私は何も残ってない。

現実がどうだかは知らないが、私の個人的なイメージとしては「大多数は親が晴れ姿を見ることを望む」し、「母が振袖を着ろって言うの」とか、そういう「家族に望まれて晴れ姿を披露する場」があると思う。

知らんけど。

でも私はそういうのなくて、周囲に晴れ姿を望まれることもなければ、自分で振袖を手配しして自力で地元の成人式に参加して、東京まですぐに戻る。なんてする気力はなかった。

大体振袖姿で長時間電車に乗るのも面倒くさいし、地元の美容院に着付けを頼むにも、朝早く東京を出るのは面倒だし。

これが親に望まれていたならまだしも、誰にも望まれてないのにやる意味ってある?みたいな。

 

今となっては行っておけばよかった…とも思ってないが、晴れ姿を一枚二枚くらいは撮っておいたらよかった、と思う。

写真だけ、自己満足だけど、自分が楽しいだけだけど、でも振袖か袴のどちらか写真だけでも。

自分で自分を愛してあげないでどうするのだ。

自分で「可愛いね」「綺麗だね」ってしてあげることの何が悪い。

まだやってないけど20代のうちにやっておこう…とは思う。

 

とまあ、一般的には「親に望まれる」晴れ姿を私は誰にも望まれなかった。

お母さんさぁ、私の晴れ姿に興味とかないのかなあ。

もうちょっとさ、私のこと見てくれてもいいんじゃないの。

おばあちゃんにはさ、年末に温泉旅行プレゼントしてたじゃん。

「おばあちゃんももう歳だし、せっかくだから」って。

なにそれ。「歳だから」っていう理由で、そんな風に心を尽くせるなら、私にだって「成人式なんだから」って、晴れ姿を望んでくれたって、いいじゃない。

仕事だって休んでよ、もうちょっと私に時間割いてよ。

おばあちゃんの旅行のためには仕事を休むのに、私は??

 

ずるい。

 

私より母に愛される誰かがずるい。妬ましい。

 

でもこれを母に訴えたところで「そんなことない」って言われるだけだし、実際に母に私と誰かを差別している気は全くないと思う。

ただ自然と「そうなってる」だけ。

意図的に差別されている方がまだいい。

無意識にやられてるって、もうつまり無意識のレベルで優先順位ができてるってことだよね。

 

つらい。ずるい。妬ましい。

 

最近いつもこういうとき、「家族を捨てれば楽になれる」と思う。

家族を捨てれば、彼らへの執着を捨てれば楽になれる気がして、でも捨てられなくて身動きできない。

けれど動かなければ変わらないので、本当は11月の三連休は実家に帰る予定だったしそういう連絡をしていたけれどやめた。

ついでに年末年始の帰省もやめようと思う。

できるなら友人と年越ししたい。

友人とぐだぐだガキ使でも見ながら笑って、年越しして、初詣にいって初売りに行ったりしたいです。

それができるお友達、募集しています。