ここに幸せがあります。

摂食障害が生きやすくなるためにすったもんだするブログです。

親友をころした

親友と絶交した。

去年の夏、喧嘩というような喧嘩もなく、ただ連絡をとらなくなった。

去年の秋、明確に距離をおかれ。

今年の夏、決定的に拒絶された。

 

お互いに様々な要因で不満が溜まっていたと思う。

例えば親友はいつも車を出すことがストレスになっていたと思うし、私は私で約束を守られないことがストレスになっていた。

つい親友に対して傲慢になりがちだった。

他の友人に対しては気を遣うことでも、親友に対しては

 

「こういう理不尽を私は我慢している分、気を遣わなくてもいいだろう」

 

という意識をもってしまった。

仲良くなりすぎたし、自分と他人の境界線が曖昧になりすぎた。

私たちは明確な他人なのに。

 

我慢できないことは我慢できないって言えばよかった。

嫌なことは嫌って言って、もっとお互いの本音を言えるようにしておけばよかった。

喧嘩もしたことなかった。

喧嘩しておけばよかった。

絶交するほど深刻な状況になる前に、喧嘩できる状態を作っておけばよかった。

 

そうすれば今も親友でいられたかもしれない。

今でも話せたかもしれない。

彼女の世界にもう私はいないし、私の世界にも彼女はいない。

親友はしんだのだ。

私の世界から消えた。

私が親友をころしたようなものだ。

 

後悔している。

多分死ぬまで後悔するんだと思う。

もう二度と友達になれないんだと思う。

 

泣いて縋ってみようか、交渉してみようか、とも考えたが、想像できなかった。

そうした先の未来。

懇願した結果の親友との関係性。

 

正直、絶交する前から分からなくなっていた。

去年の夏以降、ほぼ連絡をとらなくなってから、もう何をどう話したらいいのか、どんな言葉を交わせばいいのか全然分からなかった。

多分、今、こうして離れているから後悔できるけれど、また距離が近づいたら私は親友に対して不満や愚痴を抱えるだろう。

趣味を押し付けられたくない。

興味がないコンテンツの話ばかりされて疲れる。

知らないコミュニティの中に引き込まれても困る。

その話ばかりしないで。

押し付けないで。

約束をやぶらないで。

できない約束ならしないで。

連絡を返せ。

あなたの友達は私の友達ではない。

あなたの妹は私の友達じゃない。

あなたの妹の親友は私の友達じゃない。

 

  ちょっと私の心をつつくだけでも、剥がれ駆けのセメントのようにぼろぼろぼろぼろと。

こういった不満を彼女に言ったことはないし、彼女が抱える不満、愚痴、いたらない私に対する苦言をきくことはなかった。

言ったところで何もかえってこないと思った。

不満を呈されれば「相手を不快にしているのは自分だから離れよう」とするタイプだからだ。

諦めず、喧嘩してみようと提案すればよかったのかなぁ。

 

「いっちょ喧嘩しようぜ」って。

お互いの不満を全部吐き出して清々しよう。ずっと親友でいるために。って。

 

だって、不満こそあれどそれ以上に感謝があり、思い出があり、幸福があったのだから。

私のiPhoneには親友との思い出の写真が詰まり、家には親友と過ごした思い出の残骸が残る。

脳には幸福だった記憶が残り、心には後悔がある。

 

かつて私の世界にいたあなたの幸福を、あなたの世界の外から願います。

私から、いつか親友だったあなたへ。

怠惰の魔法

お久しぶりですしろまるです。

全然更新してなかったって前も書いた気がするし、中学生~高校生くらいまでやってたブログでも枕詞のように使っていた気がする。

すっかり暖かくなって、着る服が減って体が軽くなった。

反面、体重はめきめきと増えている。はず。

 

はず、という予想なのは、最近は体重を測ってないからだ。

最近はめちゃくちゃ食べている割に吐くのが遅いし、アイスとかであれば割と普通に食べてるし、足の肉付きも大分よくなった。

何より体が動かしやすい。

体重が少なすぎるとだるすぎて全然体が動かせないし力が入らない。

ボーダーラインは45㎏~43㎏以下で、43kg前後だと力がいれづらくなる。

43㎏で力がいれづらいんだから、一番体重がなかった35㎏とかの時はよく動いてたなと他人事のように思うし、それでもまだ痩せようとしていたんだからやっぱり異常だった。

あのタイミングで入院できてよかった。

いや、あのタイミングで入院しなければ順調にこの世からバイバイできていたわけで、どっちがいいか分からない。

死にたいと思うし長生きしたくない反面、生きているのは楽しいし生きていてよかったと思う。

 

ブログを更新していなかった時期、たくさん楽しいことがあって幸せに包まれていて、笑うたびに「生きてるの楽しい」と実感した。

体重を測らなくなったことで数字を気にする必要もなくなり、強気でいられた。

どれだけ体重が増えようが測らなければわかりゃしない。

ていうかどうせ頑張れば痩せられるしいいっしょ。みたいな。

それよりも吐くことに一生懸命になることで、他人と共有できる楽しい時間をこぼしたくなかった。

色んな人に生かされているしありがたいなぁと感じます。

ありがとう。

 

とりあえずみんな体重測るのやめてみたらいいと思う。

測らないと不安で不安で仕方ないだろうし、私もかつてはどうしても測ってしまっていた。

友人に「捨てろ」と言われてゴミに突っ込んだ。

その後引っ越してから再び体重計を購入しましたが、今は体重計がある状態でも測ってない。

キッカケは足がめちゃくそむくんだことだ。

肌に指を押し当てるとズブズブと沈むくらい、病気を疑うレベルでむくんでいて、その時期は体重の増加が半端なかった。

しゃがむと足が痛かった。

病院には行かずじまいで、一ヶ月程でむくみはひいたが、その期間は足のむくみがひどすぎて体重を測らなかった。

一ヶ月測らないと測らなくても割と平気になるもので、継続して測ってない。

面倒くさいし。

吐くのも面倒くさいから割と雑になった。

眠いし。

 

私たちみたいな摂食障害のゲロプロは、完璧主義なところがあるし完全に吐き切ろうとするところがある。

怠いから吐くの雑にするとか、完璧に濯がなくてもいいとか、「怠惰」にだらけるのって生きるのを楽にすると思います。

生きづらい方々どうぞ少しでも楽に生きるために怠惰になってください。

アイス食べて寝よう。

 

「救い」のカタチ

たびたび書くけれど、ここを訪れてる人が何人かいて、何を求めてたどり着いたのか考える。

大体摂食障害の人だと思うけど、当人なのか関係者なのか興味本位か。

誰かはわからないし目的は分からないけど、書いてる私は過食嘔吐です。

中学生頃から片鱗を見せ、食べすぎたら吐くことを覚え、拒食ぽいことになったりしつつ大学生になった。

 

「食べすぎたら吐く」

「全然食べずに痩せる(まじで水もなるべく飲まないようにする)」

も、普通に考えて異常者なんだけど、大学生になって本格的な過食嘔吐になるまで気づかなかったし、そもそも私が私を病気だと認識したのは、大学の先生のおかげだった。

先生が私の病気を指摘してくれた。

私と同じ過食嘔吐の人、食べられない人、食べすぎちゃう人、食べることに関してなんらかの悩みがある人。

 

多分病気です。

私は未だに治らない。

治したいと思えるうちに早く治そう。がんばれ

仲間がいると安心する

多分このブログを見ている人や見た人は少なからず安心することがあると思う。

なんていうか、ダメな自分がいることが許されないことだと思うんだけど、自分と同じようにダメな人がいるんだ、自分よりダメな人がいる、自分よりダメじゃないけど苦しんでる人がいる。

似た苦しみや痛みを抱えてしんどい人がいる。

自分も辛くていいんだ。

ダメでいいんだ。

 

って共感して安心できると思う。

私はこの土日、部屋の掃除などやろうと思ってたこともできず、履歴書も書けず、だらだらと食べて吐いて仮眠を繰り返していました。

やりたいこともなく、楽しいこともなく、ただ家の中にある食べ物を食いつぶして吐き出してしまいました。

やりたいこととか楽しみなことを何も見つけられなくて、きたるGW10連休が恐ろしいです。

何もできなさそうで。

ひたすら死にたくなりそうで今から恐ろしい。

 

みなさんいかがお過ごしですか。

世界から零れ落ちたっぽい

相変わらずしんどい

 

しんどすぎて会社なのに泣いてしまうくらいにはしんどかった本日の昼休み、あることに気づいた。

 

私のしんどさや辛さ苦しさの原因についてだ。

 

ここ数日のしんどさは、私の好きな人間が私以外の人間に対してとった行動を発端としているのだけれど、たった一つのことをキッカケにずるずるずるずると辛くて。

家族のこととかも思い出してもう捨てたくなったりでも捨てたくなかったり、一切楽しい気持ちになれなかった。

そして昼休み。

親友だった存在のラインのアイコンが変わってるらしいことを知った。

彼女のラインは非表示にしてしまっていたし、トークしか見ないからアイコンがどうなろうが私が知るわけはないのだけれど、彼女と彼女の妹さんのやりとりを見て初めて知った。

私の知らないアイコンの彼女は幸せそうな笑ってて、でも私はもう彼女と関わることはないし、この人の幸福の理由にも笑顔の理由にもなれないんだと気づいた。

もう一生話さないんだと思う。

 

この時ふと、私は彼女の世界からこぼれたことを実感した。

今までは私の世界に私の大切な人たちがいて、好きな人たちがいて、絶対に守ろうと思ってたし大切にしようと思ってた。

私の世界にいない人間のことなんてどうでもよくて知ったこっちゃないと思ってた。

でも好きな人たちの世界にいないどうでもいい存在になってしまっているのは自分だと気づいてしまった。

それは他にもいて、私にとってはとても好きな人間だった子に関係を断たれたことがあった。

関係を断たれたことに気がつかず連絡を取ろうとしていて向こうにも迷惑だし嫌な思いをさせたし、何より関係を断ちたいと思われるくらい自分が好きな人間の負担になってることも恥ずかしかった。

 

単純に申し訳なかったし恥ずかしい。

人に嫌われるようなことをしてしまっていたことや自分がそんな存在になっていたことが恥ずかしくて申し訳ない。

私は好きな人の世界からはみ出してしまって、いらない存在、邪魔、不必要、害悪になっているのが分かってひたすら悲しい。

いや、他人に嫌われるような人間だった自分が悪いんだけど。

でも今後私がどうなろうと彼女たちの世界に戻れることはないし私も戻れないって分かってるし。

すがりつくことはしないけど悲しいのは変わらない。

 

他人が一番好きなのに、その他人から嫌われていらないってされててどうしようって感じ。

一人程度ならまだ大丈夫なんだけど、何人かの世界からこぼれてしまったことを自覚して一気にしんどいっぽい。

他人の世界に存在すること必要とされることが生き甲斐だったのかもしれんなと思う。

でも他人の世界は他人が決めることだから、別の他人を見つけるかどうにか自分でぶら下がれるところを探すしかないと思います。

早く死にたいでしょうが死ねるまで頑張ってください。

しにたさがすごい

しにたさがすごい。

しにたさがすごすぎてしにたさを極めてる。

 

なんかなにがこんなにわかんないのか分かんないくらいしんどくて、つらくて泣きそうになる。

こういう時、辛い時悲しい時寂しい時、慰めになる人が誰もいなくて誰かに頼ることもできない自分の人望の無さに失望する。

クソみたいな価値のない人間だと実感してしまう。

毎日楽しいフリして幸せだと思い込んで生きてるけどふと自分の存在の価値のなさやくだらなさというか、要は誰にも必要とされてない存在だってことを認識してしまって、自分がみっともなくて恥ずかしくて生きていたくない。

早く死んで早く解放されたい。

こういう時、食べ物しか慰めにならなくてでもその食べ物も辛くて、吐いてばっかりで苦しいし虚しい。

ままならないなぁ

あけました

あけましておめでとうございます。今更ですがおめでとうございます。

一体何がめでたいのか説明しろと言われたらめでたいもんはめでたいとしか言いようがないんだけども。

年が明けてからほぼ更新していなかったのにちらほらとアクセスがある。

ありがとうございます。

 

みんなまだ生きづらくてしんどくて呼吸が難しくて、少しでも楽になりたかったり救いを求めているのかな、と思う。

大体検索してこのブログに辿り着いた人が多いようなのですが(アクセス解析を見る限り)、検索してここにたどり着くってことは何かしらの解決方法を探しているからかなと。

ていうか私がそうだった。

楽に吐きたくて吐きたくなくて、でも太りたくないし食べたいし、いや食べたいのかもわからなくて治るのかも分かんなくて、治るって何かも分からなくなった。

 

過食嘔吐

摂食障害

治し方

吐き方

食べる 怖い 原因

吐かない 方法

 

なんか多分色々検索した。

今でも辛くなったりすると検索するし摂食障害用のSNSアカウントを見る。

摂食障害用のSNSは、心が陰鬱な方向に引きずられたり、吐き続けてもいいや!って変に開き直ったり、私にとってはあまり良くない方向に引きずられるから普段はなるべく見ないようにしている。

自分以外にも同じような症状の人がいて、一人じゃない大丈夫って思えてしまって。

本当は摂食障害なんだからその時点でいいもクソもないんだけど仲間がいると安心した。

このグログを見てる人も私と同じような安心を覚える人は多いんじゃないでしょうか。

じゃないとこんなに人は来ない気がする。

 

いつ治るかはわからないし治るって何かももうわからなくなったりするけれども、私は今日も生きています。

なるべく早く死にたいけど多分長生きしてしまうので頑張って楽になろう