食べることだけが幸せ
新居に引っ越してから一ヶ月がたった。
極力物を増やしてないし汚れたら綺麗にしてるし、風呂は入ったら必ず拭いているしトイレ掃除もしてる。
おかげで部屋の中は綺麗で居心地がいい。
家の中にいるのが楽しい。苦しくない。
綺麗な部屋の中で掃除したり寝るのが幸福。
お風呂あがりにシャンプーやリンスのボトルの水滴を拭いてるときが好きだ。
洗濯物を干すとき、外で思い切り服を広げて汚れを払うのが好きだ。
夜ベッドに入って好きな音楽を聴いてる瞬間が好きだ。
新居の中は幸福で安心する。
けど、やっぱり食べることはやめられないし吐くこともやめられない。
食べられるものは増えたけど下剤はやめられないし体重も増えてほしくない。
吐いて食べ物が無駄になるのも、下剤で体調が悪くなるのも、体重を増やせないのも問題だけど、私が一番焦ってるのは
食べること以外に楽しみがない
ことかもしれない。
食べることだけが幸せ。
食べている時が一番幸せ。
もちろん他にも幸福な瞬間はある。
でもそれは空腹に切羽詰まってないときで、食べて吐き終えたあとにできることだ。
朝起きて少し時間があると「食べて吐けるかな」って時間を計算してしまう。
旧居の時はいつも朝起きて急いで食べて吐いて、それから出勤してた。
そのために前の晩に少しご飯を分けておくことすらしてた。
今は新居を綺麗に使いたい気持ちが強いし、出勤時間が早まったのでやる余裕がない。
もちろんいいことなんだけど、朝いつも思うのだ。
出勤するまで暇だなって。
掃除とか昨晩してるしなぁ。みたいな。
帰宅してからもまず食べて吐くことを考えるんだけどあんまり早い時間に食べ始めても食べ終えるのも早くなるから暇になるよなぁっておもっちゃう。
食べることだけが娯楽になっていて他のことが楽しめない。
おなかがすいてなければ他のこともできるかもしれないけど常時おなかはすいていて、仕事中ずっと空腹を堪えているので退勤したらもう我慢できない。
食べられるものを食べて空腹をごまかしたりはしてるけど、とにかく食べてない時が暇で何していいかわからない。
やることはたくさんあるはずなのになぁ。
やることを書いた紙を作ろう。
多分、私みたいなタイプの人は、過食嘔吐の人は食べること以外に楽しみを見つけられなくなってるのが苦痛の一つだと思う。
食べ物以外に依存できるもの、楽しめるもの、他人であれなんであれ見つかれば息がしやすくなると思いますがいかがでしょうか。
私は一時期、犬夜叉などハマりして心を捧げていた。
かごめちゃんの苦しさや切なさを考えて、夜に一人で泣いていた。
かごめちゃんが愛しくて幸せになってほしくて犬夜叉にキレてた。
あれくらい強く心を捧げるコンテンツを見つけたい。
¥399の檻
以前、物を捨てる罪悪感について記事を書いた。
物を捨てることにものすごく抵抗感があって、物が溜まっていく。
部屋を綺麗に保ちたいのに、ビニール袋とかたまるし人から貰ったものは尚更捨てられない。
「捨てられたら楽なのに」捨てるのが苦しくて、とりあえずダンボールとかに入れてしまう。
以前の記事でも「母からもらった簡易ゲーム機が捨てられなくて、捨てるのに苦労した」って書いた。
簡易ゲーム機はほんと簡易なもので、テトリスをはじめとした20種くらいのパズル系ゲームができるってもの。電池式。
DSとかそういうのには遠く及ばないけど、でも2000円くらいはするかなって。
母が私のために買ってくれたゲームなんだ、と思うと捨てられなくて。
母の2000円を捨てられなかった。
でも先日ドンキで同じゲーム機が売られてるのを見つけた。
お値段¥399。
やっす〜!!!!!!
は?やっす!!!!!!!
なにこれ、私¥399のために捨てられなくて苦しんでたの?
は?いや、¥399て。
気持ちは値段じゃないとかそういう説もあるけど、値段に気持ちは含まれるでしょ。
綺麗事言うのやめよ。
高いもの、いいものあげたいって気持ちは値段に反映されるって。
なんかこんな安いものに苦しまされたのかと思うと腹がたつというか悔しかった。
母ずるい。
私が苦しんだことで傷ついてほしいとか、私に疎遠にされたことで悲しいと思ってほしい。
新しい家族が欲しいと思うこのごろです。
私はあなたの一番にはなれない
最近全然更新してなかった。
単純に書くのに割く時間がなかったからなんだけど、一旦更新を止めると次に何を書いたらいいのかわからんくなる。
単純に精神が安定してるってのもある。
相変わらず吐くのは変わってないけど、それで病んだりはしていない。
いや吐いてるんかい!
って感じだけど、私の過食嘔吐に関してはもう…なんていうのかな、ストレスを発散させるために依存しているものだから仕方ないのだ。(今のところはね)
タバコ吸ったりお酒飲んだりするのと同じようなものだ。
徐々に禁煙なり禁酒なりしようとしてるってだけ。
ただ、過食嘔吐の何が面倒くさいかって、タバコや酒は吸わなくても飲まなくても死なないし、口寂しいなら飴をなめるとか、タバコ・酒の代わりを作れる(満足感があるかどうかは別)
でも、食べ物って、「食べなきゃ死ぬ」から厄介だと思う。
絶対に断ち切れるものじゃない。タバコだけ吸って生きていけるわけでもなけりゃ酒だけ飲んで生きていけるわけでもない。
完全に断ち切ることができないからバランスをとるのが難しいなあと思う。
そもそも「食べて吐く」のは根底に「太りたくない」気持ちがあるからで、じゃあなんで「太りたくないのか」っていうと、体重が増えることでデブになることで愛されなくなる、承認されなくなる恐怖があるんだと思う。
友人各位は私が太ろうが太っていまいが、ガリガリだろうがなんだろうが態度を変えないと思うし実際に変わらなかった。
内心どう思っているかは分からないし、心配されたり、思うところはあると思う。
ただ「表面上」は変わらなかった、私に接する態度が変わることはなかった、私がどうなろうと、友人各位は仲良くしてくれた。
だからそこに関してはもう安心しているし、特に心配なこともないし友人各位には大感謝してる。
ただやっぱりネックになるのが家族関係で、母やら親類にどう思われるかが不安で仕方ない。
だって私がこうなったことで家族関係は明確に変わったからだ。
私は痩せほそったことで母に心配されるようになった、前よりも連絡が増えたしかまってもらえるし優しくしてもらえてる。
これが「愛されていること」の証明かどうかは分からないし、24歳にもなってまだ母親の愛情がほしいのかよって笑われそうだがほしいもんはほしい。
もっと「お母さんに愛されていること」の確証がほしいのだ。
でも多分それは無理だと思う。と、最近認めざるをえない。
私は「母親にとっての一番好きな存在」になりたいんだけど無理なのだ。
私はあの人の一番になれない。
あの人は私よりも自分の母であったり恋人の方が好きだし大事だと思う。
ずるい。ずるいずるいずるい。
おばあちゃんがずるい、私よりお母さんに大事にされるおばあちゃんがずるい。
母の恋人がずるい。私より財力も経験も知識もあって、お母さんに頼られて仲良くて、私にすら優しくしてくれて、私よりずっと長い時間母と過ごせる母の恋人がずるい。
ずるい。
みんな私より母に愛されてずるい。
私は成人式に行っていないので振袖を着ていないし、大学の卒業式にも行ってないので袴も着てない。
晴れの日を経験してない。
20代という若くて綺麗な瞬間、周囲が最大限に着飾り晴れ姿をのこすなか、私は何も残ってない。
現実がどうだかは知らないが、私の個人的なイメージとしては「大多数は親が晴れ姿を見ることを望む」し、「母が振袖を着ろって言うの」とか、そういう「家族に望まれて晴れ姿を披露する場」があると思う。
知らんけど。
でも私はそういうのなくて、周囲に晴れ姿を望まれることもなければ、自分で振袖を手配しして自力で地元の成人式に参加して、東京まですぐに戻る。なんてする気力はなかった。
大体振袖姿で長時間電車に乗るのも面倒くさいし、地元の美容院に着付けを頼むにも、朝早く東京を出るのは面倒だし。
これが親に望まれていたならまだしも、誰にも望まれてないのにやる意味ってある?みたいな。
今となっては行っておけばよかった…とも思ってないが、晴れ姿を一枚二枚くらいは撮っておいたらよかった、と思う。
写真だけ、自己満足だけど、自分が楽しいだけだけど、でも振袖か袴のどちらか写真だけでも。
自分で自分を愛してあげないでどうするのだ。
自分で「可愛いね」「綺麗だね」ってしてあげることの何が悪い。
まだやってないけど20代のうちにやっておこう…とは思う。
とまあ、一般的には「親に望まれる」晴れ姿を私は誰にも望まれなかった。
お母さんさぁ、私の晴れ姿に興味とかないのかなあ。
もうちょっとさ、私のこと見てくれてもいいんじゃないの。
おばあちゃんにはさ、年末に温泉旅行プレゼントしてたじゃん。
「おばあちゃんももう歳だし、せっかくだから」って。
なにそれ。「歳だから」っていう理由で、そんな風に心を尽くせるなら、私にだって「成人式なんだから」って、晴れ姿を望んでくれたって、いいじゃない。
仕事だって休んでよ、もうちょっと私に時間割いてよ。
おばあちゃんの旅行のためには仕事を休むのに、私は??
ずるい。
私より母に愛される誰かがずるい。妬ましい。
でもこれを母に訴えたところで「そんなことない」って言われるだけだし、実際に母に私と誰かを差別している気は全くないと思う。
ただ自然と「そうなってる」だけ。
意図的に差別されている方がまだいい。
無意識にやられてるって、もうつまり無意識のレベルで優先順位ができてるってことだよね。
つらい。ずるい。妬ましい。
最近いつもこういうとき、「家族を捨てれば楽になれる」と思う。
家族を捨てれば、彼らへの執着を捨てれば楽になれる気がして、でも捨てられなくて身動きできない。
けれど動かなければ変わらないので、本当は11月の三連休は実家に帰る予定だったしそういう連絡をしていたけれどやめた。
ついでに年末年始の帰省もやめようと思う。
できるなら友人と年越ししたい。
友人とぐだぐだガキ使でも見ながら笑って、年越しして、初詣にいって初売りに行ったりしたいです。
それができるお友達、募集しています。
お久しぶりの更新になりました
一週間くらい間があきました。
なんとなく感情が安定してたのと、「アクセス数を稼ぐために毎日更新しなきゃ」という枷から外れたかった。
一回決めたことは守らなきゃ、という意思が強いので「毎日更新しなきゃ」と思ってたんだけど、別にブログって私が好きな時に更新していいものだよね。
思考をまとめたものだしね。
毎日更新することを継続してると、そのルールを破ることが怖くなるというか、「やらなきゃ」っていう義務感が生まれて急き立てられるような気持ちになる。
一度でも「いいや」ってやめてしまえば、もうそっからは楽になれるので、これからのんびり更新してく。
多分食事に関しても同様で、「吐かなきゃ」「食べなきゃ」「我慢しなきゃ」っていう意識がすごく強いせいでコントロールできない。
自分ではコントロールできてると思っていても、実際は全然できていないからイライラするんだと思う。
自分で自分の食べるものを決めて、それで体を作って、ハッピーになるなり「食べすぎちゃった」って落ち込むなりすればいい。
なのに今は食べ物にハッピーにさせられてブルーにさせられて。
感情をコントロールするために食べるんじゃなくて、食べることに感情が支配されてるからつらい。
あと体重の数値と、体の内部が膨張してる感覚に支配される(何か食べた時とか飲んだ時とか、腹部や背中がじんわりと膨らむのを感じる。これが嫌)
ここ数ヶ月は体重の水位が46~48㎏くらいで、落ちてる時は46㎏、段々増えて48㎏くらい。たまに49㎏近くになって焦る。
焦りつつも「どうせ痩せる」と、下剤をたくさん飲んでまた吐くを繰り返して46㎏に近づいていくのが常だった。
46㎏はここ数ヶ月の私の体重としては低い側の数値だったけど、最近は46㎏、つまり「低い(軽い)」数値で安定している。
このままだと46㎏は私の体重では「高い(重い)」数値の基準になるし、実際体重が落ちてくと思う。
実際、背中周りとか胸とか、皮膚と骨が近い感じがするというか…なんだろうな、「べこっ」って凹んでる感覚がある。
体の内側の肉が少なくなっていく感覚、私と同じタイプの人ならわかると思います。
よくわかんないっていう方は指先とか、自分の体の中で一番肉の厚みが少ないところを意識してみて。
それが背中とか胸で、かつ圧迫されてる感じがある。
「あーなんか体重が低めで安定してきたなー嬉しいけどうーん」
と思いつつ、風呂に入って体を見たら骨ばってて気持ち悪くて引いた。
胸骨と鎖骨が浮き出て、肩峰も分かるし肋骨?あばら?もうっすらでてる。
骨の標本かよ!
みたいな。
ここで例にあげちゃうのは申し訳ないんだけど、アンガールズのお二人みたいな体系。これが女で胸も全然ないので、女体としての魅力ゼロじゃん…こんなん抱きたい男いないでしょ…って、抱かれる予定もなければ願望もないのに思った。
ただ、抱きしめられたい欲はあるし友達ときゃっきゃぎゅっぎゅしたいし、その時はやっぱり柔らかいほうがいいので、50㎏を目指そうかな?と思いました。
あと単純に新居で吐きたくないのと、キッチンとかトイレ汚したくない。
毎日掃除してるけど絶対気づかないうちに汚れているところがある。
こわやこわや。
でもおかげで新居は綺麗に保てている。寝室側で飲食しないし(軽いお菓子とかジュースはテレビ見ながら食べるけど)
狭いけどキッチン側でしか飲食してないし、なんとなく食べられるものも増えました。
最近はヨーグルトを食べるのに成功し、中に固形チョコが入ったアイス(チェリオ)を食べることに成功しました。
あと卵豆腐に飽きて以降はずっとベビーチーズにハマって食べてる。
個人的おすすめは明太子味とスモークチーズです。美味い。
この調子で一人でも食べられるもの増やしたい。
親友がきえた。
親友が消えた。
物理的とか死んだとかじゃなくて、存命してるけど連絡をとってない。
別に何かあったわけじゃない、喧嘩もしてないし、夏に一緒にディズニーのコンサートに行った。
それ以降一切連絡をとってない。
私自身、親友に対して我慢できないところがたくさんあって許容量を超えてしまったし、それはきっと向こうも同じだったんだと思う。
怒りはないけど悲しい。
もう少しちゃんと話し合えていたら今でも親友は生きていたのかもしれない。
私たちはお互いに親友をなくしたんだと思う。
過去の記憶の中では親友は変わらなく親友だし、今でも私は彼女が大切だ。
けれど親友のために何かしてあげたいとかはなくて、幸せでいてくれたらいいな、とは思えど、彼女の幸福の理由になりたいとは思わないし、幸福も祈れない。
幸福を祈れなくなったら終わりだと思う。
なんでこうなったのか、どうしたらまた戻れるかは分からないけど、とりあえず幸せでいてくれたらいいな。と。
思う反面、連絡返せやてめ〜!!!!!!!!!!!!!!とたまにめっちゃ怒りが湧きます。
ジモティーでロフトベッドと洗濯機を引き取ってもらった話
以前書いた記事でいかに部屋が汚いかアピールしたと思う。
私は今回は本当に絶対に汚くしたくなくて、部屋が汚れるのが怖くて怖くて仕方ない。
キッチンは使ったらシンクの中まで拭くし、トイレは壁から床を拭く。
お風呂はカビさせるのが怖くて怖くて、隅っこにしゃがんで壁側にシャワーヘッドを向けて、できる限り水滴が飛び跳ねないようなして入っている。
正直風呂なのに全く休まらない。
入った後は体を拭いたタオルで浴室内を拭くのだがめんどくさい。
みんな毎度こんなにめんどくさいことをしてるのか、風呂に入って掃除して出るまでがワンセットで、風呂がめんどくさくて仕方ない。
風呂を汚したくないので、銭湯に通おうか考えるレベルだ。
とりあえず、今は帰宅したら必ず動画を2本くらい流しながら軽く掃除することを癖にしようと思う。
これまで私は普段帰宅したらもう食べて吐くことしかできず、疲れて寝落ちするまで吐いていた。
すっかり吐き疲れて眠る癖がついてしまいました。
寝ても途中で起きては一、二時間食べて吐いて寝落ち。
仕事のある平日でもこんな生活なもんだから睡眠時間は少ないし眠い。でも仕事は仕事でそんな私のコンディション関係ないし自業自得なのでちゃんとやりたいので、昼休みは寝ている。
どうせご飯食べないし。
そんな感じで、帰宅、食べる、吐く、寝落ち、起きる、吐く、寝る、みたいな生活してたから生活サイクルはガタガタ。
加えて夜中に下剤がボンバーすると、夜中に起きてトイレで苦しみ、また寝落ちしてる。
気がつくと便座に座ったまま膝を抱えて寝てて、足がめちゃくちゃ痺れてて立ち上がれないことがザラだった。
全部私の生活がだらしないから、だらしなくなってもいい部屋にいたからこうなってたんだと思う。
一つ妥協するとどんどん緩んでしまうので、今回はギッチギチにネジを締めておきたい。
しばらくは掃除の鬼になりたいのだ。
今はめたくそ汚い旧居の掃除をしつつ、新居を整えてる。
まだまだ新居には段ボールが残っていて、多分出してない=捨てても平気なんだと思う。
大分捨てたつもりだったけど、まだまだ捨てられそうなので捨てたい。
「そもそもそれ大して捨ててこなかったんじゃないの?」と思われそうだが違う、本当に捨てた。
なんらかの理由があって残してたものも捨てたし、ロフトベッドを引き取りに来てくれたおっさんも協力してくれたのだ。
引っ越すにあたり、全く使わなかったロフトベッドを捨てることにした。
処分費用を浮かせたかったので、解体・引き取りをしてくれることを条件に、ジモティーに無料で出品した。
「ロフトベッドを譲ります。排水できない洗濯機と、いらんローテーブルも引き取ってくれると大感謝です。」
と、投稿するとすぐに問い合わせが殺到した。
その中で文章がきちんとしていて、洗濯機も引き取ってくれるというのがおっさんだった。
話はトントン拍子に進み、おっさんはその夜、ロフトベッドを引き取りに来てくれることに。
正直使ってないとはいえホコリとかで汚れてるし、何より部屋は大惨事。
あらかじめ汚いですよって言っておいたけど、あまりの汚さにおっさんは帰るのでは?と不安になるレベルだ。
ていうか正直私もこんなに汚いの?ってびっくりした。
ほんとなんでこんな汚れてるの?
私こんなに汚くできたの?
人間の住処じゃないじゃん。
何これ、普通に暮らしててこうなるもんかよ?
って感じ。
おっさんには
「タバコとか吸ってたの?」
と聞かれた。ちなみに私、非喫煙者だし、私の部屋でタバコを吸う友人はいません。
おっさんにもどうやって暮らしてたのか聞かれた。
「普通に暮らしててこうなるもの?」
普通に暮らしてはいなかったですね、乱暴に雑に生活してましたね。
住まいのお手入れとか全然してなかったしっていうかそういうのやるもんなんですね。
皆さんどんな感じで暮らしてるんですかね?
私人間になりたいんです。
まともな人間になりたいんです。
何も知らないし、今後関わることもないおっさんだったので、ゲロのことも話した。
吐き方についても聞かれたので正直に話した。
淡々と会話する私におっさんは不思議そうだった。
「随分淡々としてるけどショックじゃないの?」
「ショックですよ。めちゃくちゃショックです。こんなに部屋が汚いのも吐いてるのも何もかも。でも一旦感情を出しちゃうと、ショックで死にそうなので。こういうショックなことがあったときは感情を殺すって決めてるんです」
なんか厨二病みたいなこと言うけど、私は自分が許容できないほどショックなことがあったり、憂鬱になりかけたときは自分の感情を無視することにしている。
じゃないとパニックになって泣きそうになる。
例えるなら、お化け屋敷に入ったとき、怖くてびくびくしていると、なんでもない廊下すらめちゃくちゃ怖いので、怖くないふりをする感じ。
ぜーんぜんショック受けてませんけど??
みたいな顔してるのだが本当はめちゃくちゃショックで正直泣きたかった。
部屋汚すぎるしこんなもの引き取ってもらうのも申し訳ないし、ちゃんと生きていられなくて恥ずかしい。
何よりもう24歳なのに自立できなくて他人からの関心とか好意とか、そういう愛情に匹敵する甘い蜜がないと生きてられなくて、周りの支えがないと生きていけない。
人間誰しも誰かのお世話になってるし支えられて生きてると思うしそれはいいと思う。
でも私は寄りかかりすぎというか、感情の拠り所の大半を他人にしてしまっている。
一人でもにこにこして楽しくて、ワクワクしてる人間になりたい。
支えてくれって泣くより、好きな人を支えて、頼られる側でいたい。
好きな人の幸福を祈るだけじゃなくて、幸福の理由になりたい。
頭の中では色々考えてたけど、ひたすら淡々としていたらおっさんは言った。
「いやー感情に出しちゃった方がいいと思うけどね。
感情とか現状を無視しても何も変わらないし、出さないと行き場がないし。
それに感情出した方が、もうこんな部屋にしないぞって強い戒めになるんじゃない?
まだ若いんだから大丈夫だよ。生きるのめんどくさいけど楽しいからさ」
おっさんはいい人だった。
本来なら処分費用がかかる洗濯機を引き取ってくれるわ、めたくそきたないロフトベッドを解体して持って行ってくれるわ励ましてくれるわ。
さらに引っ越しの整理でめちゃくちゃ部屋が荒れていて汚かったのに、片付けまで手伝ってくれた。
汚いし手が汚れるから申し訳なくて断ったのだが、
「こうなったらもう何かの縁だからw」
も笑いながらぼかすかビニール袋に私の所持品を入れていった。
中には必要なものとか、私がとっておこうと思ったものもあったのかもしれないが、今のところ困ってないし思い浮かばないってことは大したものじゃないのだろう。
おっさんありがとう。
新居では頑張ります。
吐くのも減らそうと思います。楽しく生きるね。
もう二度と負の遺産を作りたくないマン
新居を絶対に汚したくなさすぎて緊張してる。
いや、本当前の家が汚すぎたのでもう絶対に新居を汚くしたくない。
みんなどうやって家を綺麗に保ってるんだろう?
お恥ずかしながら、私は家庭の常識ってあんまりない。
家庭科で学んだことは分かってるけど割と認識が甘い。
自分の常識が合ってるのかどうか不安なる。
家庭環境のせいになんてしたくないし、両親には感謝している。
父には二度と会いたくないけれど、育ててくれた恩は感じているし、頑張ってくれたことを貶したくない。
だからこれは常識のない私のせいなんだけど、どこをどれくらいの頻度で掃除したらいいのか分からない。
トイレは?
風呂は?
キッチンは?
どんな風にどこを掃除する?
うちには確か三角コーナーとかなかった気がする。
おばあちゃん家にはあった。
生ゴミの処理とかどうしてたんだろう。
家庭科だとしっかりネットにいれてたし、キッチンを使った後は全部シンクを拭いてた。
でも正直、家庭科だからでしょ?授業だからでしょ?って感じ。
料理についても同様で、家庭科では昆布と鰹節とか使って出汁をとるけど、家では基本的に顆粒だしだ。
他の一般的な家庭でも、昆布や鰹節から出汁をとったりしてるのでしょうか?
家庭科以外でそういう出汁の取り方したことなくて、今後好きな人が出来た時、恋人が出来た時、手料理を振る舞えるんだろうか。
自分の常識が間違っていやしないか不安になる。
ていうか基本的には常識が欠落してると思うんですよね。
だから普段は必死になって人間のふりをしています。
まともに生きてるフリしてるけど出来てるんだろうか。
ゲロするにしても、新居汚すのが不安で不安で仕方なくて、割と細心の注意を払ってるし、トイレは毎日掃除してるし壁まで拭いてる。
キッチンと風呂も同様に水滴を残さないように拭いてる。
風呂にいたっては濡れる範囲を狭めたくて、しゃがんで隅っこで洗ってる。
そんなん気が休まらないじゃん!!って感じかもしれんけどそれでも綺麗さを保つサイクルができるまではしばらく緊張していたい。
気を緩ませてしまうとだめなのだ。
引き続きお掃除の情報募集してます。
あと料理するときは必ず換気扇回してるんだけど効果あるかなあれ
油汚れとかほんと怖くて仕方ない。
みんなどうやって生きてるんだろう。
本当に生きるのは難儀なことです。
もう一本短いの書きます。