ここに幸せがあります。

摂食障害が生きやすくなるためにすったもんだするブログです。

母に復讐をしているらしい話

もう年末ですね、いよいよ大晦日です。

年末にまでこんなブログを書くのはどうかと思うんだけど、どうしても今年中に書いておこうと思った。

 

年末のこの時期になると、増えてくるのが帰省やらなにやらの家族関係のことだ。

私の周囲もみんな帰省してるし、会社でも当然のように「帰省はいつからですか?」と当たり前のようにきかれる。

帰省して、家族と過ごすのが当たり前かのように。

私も大半は帰省して家族とすごすんだろうと思う。

無意識のうちにそういうイメージが植え付けられてる。

(ところで弊社のボーナス6万円でした、税金ひいたら5万以下。支給実績2ヶ月分って書いてあったのにな~!!!!!!!!!!!!!転職しよ。みんながんばろうね)

 

私も本音を言えば家族と過ごしたい。

重い荷物とお土産を抱えて、電車にのって駅に迎えにきてもらって、「おかえり!」って迎えてもらい、温かい部屋でみんなでわいわいご飯を食べたり、仕事の話とか友達の話とか好きな人の話したりゲームしたりしたい。

朝起きて、「おはよう」って言ってあったかいお茶飲みつつ庭を眺めて「雑草からなきゃなあ、でもめんどくさ」って面倒な現実から目を背けて、去年の新春番組の再放送を朝からダラダラとみていたい。

でも結局大掃除の手伝いをする、みたいな。

そういう年末を過ごしたい。

すごくそういうのに憧れがある。

じゃ、やればいーじゃんってなるかもしれないけど無理なのだ。

そんな帰省先はない。

一家四人…とはいっても父母は離婚していて私の戸籍は父にあるので、私・父・兄の3人構成だが、兄は父から逃げ出している。

私も父から逃げたので、3人バラバラ。

兄はどこに住んでるのか知らん。

母の住所も知らん。

私が住んでいる場所を知っているのは父だけだ。

でも絶対にあの家には戻らない。

父か私か、どっちかが死ぬまで行くことはないと思う。

 

こんな感じで一家離散型なので、集まるとかはありえないのだ。

私や母、兄が会うのは祖母の家でだ。

駅から遠くてバスも少ない。

ものすごく行動しづらい。

私が免許を持ってれば何も問題ないんだけど、NO免許な私は、どうしても祖母の家に行く時は誰かに迎えに来てもらわなきゃならない。

一旦祖母の家に行ってしまうと、他人に寄生するか家にずっといるしかない。

正直あまり居心地がよくない。最近。

必ず誰かの予定に合わせなきゃならないし、っていうか相手も私のために動かなきゃならない。

相手の負担や荷物になっているのが嫌だ。

あと最近は祖母も私が行っても自分の友達との予定を優先しているので、私がいかない方がいいんじゃないかなーと思う。

望まれてないなら存在する意味なんてない。

だから行きたくない。

 

それに、母のお荷物にもなりたくないし、会いたくない。

母のことすごくすごく好きなんだけど、私の方が好きだから、私は母の一番好きな人になれないから、だからそれならせめて不安になれっていうか、「好き」でいっぱいにならなくていいから、

「私が一人で寂しくて孤独で不安を紛らわすためにたくさん食べて吐いて惨めで情けない気持ちになっているこに絶望してくれ」

って思ってしまう。

あなたになんか会いたくない。

お母さんなんか私に望まれていないんだ。

あなたは私の幸福にならないんだ。

あなたは私を幸福にしようとしたのかもしれないが、あなたは私を苦しめれど私を幸せになんかしないんだ。

ざまぁみろ。

 

歪んでいるなと我ながら思うんだけど止められなくて

母から年始に旅行に誘われていたんだけど断った。

「旅行に行こうよ」

「行かない」

「仕事休めないの?行こうよ」

「行かない」

「なんで?どうして?最近帰ってこないし心配だよ」

 

今更遅い。

今更遅いんだよ。

小学生の私はもういないし、中学生の私はもういないし、高校生の私はもういないし大学生の私ももういない。

思えば小中学生の頃の私は聞き分けがよくて、というより諦めることにものすごく慣れていた。

寂しいとか悲しいとか苦しいとか、黙っていたし言わないことに慣れてた。

幼い私の方がずっと大人だ。

 

何度断っても母はおれなかった。

私も本当は旅行に行った方がいいのは分かってる。

でも意地になって断り続けた。

 

「お願いだから一緒に来てください」

そんな罪悪感を感じさせるような言い方はずるい。行かない。

 

「今まで家族旅行も連れて行ってあげられなかったから連れていきたいの」

おばあちゃんのために、でしょ?

私のためじゃない。

私だけのためじゃないなら行きたくない。

私だけのために動いてみてよ。

成人式とか卒業式とか、振袖着たかった袴は着たかったし望まれたかった。

大体私はもう24歳だよ、今更家族旅行って。

今更家族っぽいことしようとしたって遅いんだよ。

私はもうこの血縁関係に家族なんて求めてないんだ。

遅いよ、望まれないことに絶望しろ。

 

数日間断り続けて母がようやく折れた。

終わって楽になったなーと思うのと同時に悲しかった。自分で断っていたのに、やっぱり行けばよかったかなぁとかなんとか。

深夜、暗い部屋でぼんやりしていたら友達がSkypeとばしてくれた。

要約すると

「意地張ってないで無理しないで行ってきた方がいい。お母さんとちゃんと話した方がいいし、あったかいご飯食べてきてほしい」

ありがたくてめちゃめちゃ泣いた。

 

内心に抱えていたことを相談すると段々感情の整理ができてきたし、自分でも気付かないことに気づいた。

それが私が母に対して復讐していることらしいことだった。

私は母に対して冷たくすることを復讐だと思ってなかったのだが、友達に「復讐」と言われてとてもすとんと胸に落ちた。

 

あ、私、母に復讐してるんだ。そうなんだ。

 

ってすごく納得した。

それともう一つ

 

「自分がされて嫌なことってする側になったらすごく痛みがわかる。好きな人に同じことするの辛くないかな」

 

つらかった。

好きな人に冷たくしたり辛く当たるのは辛かった。

望まないのは辛かった。

好きな人に痛みを与えるのは辛かった。

 

いくら私が母を突き放しても悲しくて苦しくて開放されなかったのは、私が母のこと好きで仕方ないからなんだって改めて気づいた。

友達が助言してくれたので、深夜3時、即母に旅行にいけるってメールした。

あれだけ断り続けたのに、友達に助言されてコロッと意見を変えるのだから、他人の視点で大事だし、私のブログを読んでわざわざ深夜に声をかけてくれた友達に心から感謝を。

友達も忙しかっただろうし最近少し気まずかったから(自分のせい)、話しかけるのためらってたんだけど、そんな時でも気遣ってくれたので本当に感謝してる。

ありがとう。

旅行は楽しんでこようとおもう。

幸せって望まないとやってこないし。

望まずして幸福って得られないよね。

 

幸福を望むのは苦手かもしれないし、精神的に負担になるかもしれないけど、無理矢理にでも泣きながらでも私は私の幸福を望んでください。

多分そこに幸せがあります。

2018年、最後の記事でブログタイトルとも似合ったいい感じの締めくくりができたんじゃないでしょうか。

あ、あとそういえばクリスマスはとてもハッピーでした。クリスマス前もさっきの友達とホテルで贅沢をして、今月は幸せが多かったなぁとおもいます。

来年も幸せでありたいし、好きな人たちの幸福を祈ります。

みなさまよいお年を〜ありがとうございました。

吐き方が知りたい

Googleのサーチコンソールを使ってみた

最近は記事を書かなくても、ブログ村ping送信しなくてもアクセスがある。

もちろん微々たるものだけど、一日に何人かの人がこのブログを訪れてる。

作ってそんなに経ってないし、書いてあることは摂食障害のことばっかり。

摂食障害系のブログやサイトならもっとたくさん有名なものもあるだろうに、確実にここを訪れてる人がいる。

私のブログを見てる人はどういう検索ワードでここにたどり着いてるんだろう?

何を見てるんだろう?

はてなブログにもアクセス解析はあるけど、訪問者数とかどっからきたのかとか、どこのページを見てるのかくらいしか分からないから、グーグルのサーチコンソールを使ってみてみた。

 

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大体こんな感じ。

 

みんな吐き方知りたすぎじゃない??

 

って思ったけど、私も身に覚えがある。

私もうまく吐けなかった時はめちゃくちゃ検索した。

少しでも楽にっていうか、とにかく食べた物を全部吐きたくて仕方がなかった。

先に言っておきます、今回の記事で私の吐き方を書いたりしないし、今後も書きません。

知ってできるようになったら悪化すると思う。

「いや、そんな綺麗ごといいから早く教えてよ。吐けなくて困ってるんだよこっちはふざけんなよ」

って思う人もいると思う、私も過去に同じことを思ってました。

でも私は自分が原因で摂食障害の人の症状を重くさせたくないので書きません。

楽に吐く方法が知りたかったらインターネットの海のどこかに沈んでるから頑張って見つけ出して。

私は頑張った。あなたも頑張れば見つけられる。

 

あの時の私はとにかく吐きたくて頑張った。

おなかの中いっぱいに詰め込まれた食べ物を吐き出して、それこそ胃ごと取り出して中身を綺麗に洗えたらって思っていた。

最初は手を口の中にいれて、嘔吐反射で吐いていたけど私はこの方法では限界があった。

段々手が口の中に入るのも慣れてしまうし、歯が手の甲にあたって傷ができる。

俗にいう吐きダコなんだけど、手を口の中に入れ続けてるとどんどん悪化するし痛いし、でも吐けないし。

あとやっぱ見えなくても唾液がとんで不衛生だし、何より苦しかった。

たくさん水を飲もうがうまくはけなくて、ただ下腹部に水が溜まってしまって余計に焦った。

とにかく綺麗に吐きたくて吐きたくて仕方なくて、色んな工夫をしました。

そしてほぼ完全に吐けるようになりました。

 

もう一度書いておくけど吐き方を書いたりしないです。

そんなにマイナーな方法じゃないし、私と同じ人はたくさんいると思う。

できるようになるかならないかは個人の努力次第だけど、こんなんできるようにならなくていいと思う。

私は楽に吐けるようになったけど、治す気がどんどんなくなった。

だって苦しくないんだもん。

簡単にほぼ完全に吐けてしまうから、治したいとか食べるの我慢しようとか全然なくなってしまった。

苦しくてつらくてやめたいと思うのは下剤くらいだ。

苦しくて辛くて悲しいからやめたい、とすら思えなくなってしまうかもしれない。

だから吐き方なんて覚えなくていいと思うし知らなくていいと思う。

それに多分、私と同じ人たちやこのブログに行きついた人は、吐くことより

 

「普通にごはんを食べて吐かない」

 

ことの方が難しいんじゃないでしょうか。

私は適度にご飯を食べて吐かない方法を知りたいです。

こうなる前の私はどうやってごはんを食べてたのか思い出せない。

何が楽しくて何が幸せで、何に生きがいを感じて、どうやって食べてどうやって眠ってたんだろう。

早く普通の人間になりたい。

食べることだけが幸せ

新居に引っ越してから一ヶ月がたった。

極力物を増やしてないし汚れたら綺麗にしてるし、風呂は入ったら必ず拭いているしトイレ掃除もしてる。

おかげで部屋の中は綺麗で居心地がいい。

家の中にいるのが楽しい。苦しくない。

綺麗な部屋の中で掃除したり寝るのが幸福。

お風呂あがりにシャンプーやリンスのボトルの水滴を拭いてるときが好きだ。

洗濯物を干すとき、外で思い切り服を広げて汚れを払うのが好きだ。

夜ベッドに入って好きな音楽を聴いてる瞬間が好きだ。

新居の中は幸福で安心する。

 

けど、やっぱり食べることはやめられないし吐くこともやめられない。

食べられるものは増えたけど下剤はやめられないし体重も増えてほしくない。

吐いて食べ物が無駄になるのも、下剤で体調が悪くなるのも、体重を増やせないのも問題だけど、私が一番焦ってるのは

 

食べること以外に楽しみがない

 

ことかもしれない。

食べることだけが幸せ。

食べている時が一番幸せ。

もちろん他にも幸福な瞬間はある。

でもそれは空腹に切羽詰まってないときで、食べて吐き終えたあとにできることだ。

朝起きて少し時間があると「食べて吐けるかな」って時間を計算してしまう。

旧居の時はいつも朝起きて急いで食べて吐いて、それから出勤してた。

そのために前の晩に少しご飯を分けておくことすらしてた。

今は新居を綺麗に使いたい気持ちが強いし、出勤時間が早まったのでやる余裕がない。

もちろんいいことなんだけど、朝いつも思うのだ。

出勤するまで暇だなって。

掃除とか昨晩してるしなぁ。みたいな。

帰宅してからもまず食べて吐くことを考えるんだけどあんまり早い時間に食べ始めても食べ終えるのも早くなるから暇になるよなぁっておもっちゃう。

食べることだけが娯楽になっていて他のことが楽しめない。

おなかがすいてなければ他のこともできるかもしれないけど常時おなかはすいていて、仕事中ずっと空腹を堪えているので退勤したらもう我慢できない。

食べられるものを食べて空腹をごまかしたりはしてるけど、とにかく食べてない時が暇で何していいかわからない。

やることはたくさんあるはずなのになぁ。

やることを書いた紙を作ろう。

多分、私みたいなタイプの人は、過食嘔吐の人は食べること以外に楽しみを見つけられなくなってるのが苦痛の一つだと思う。

食べ物以外に依存できるもの、楽しめるもの、他人であれなんであれ見つかれば息がしやすくなると思いますがいかがでしょうか。

私は一時期、犬夜叉などハマりして心を捧げていた。

かごめちゃんの苦しさや切なさを考えて、夜に一人で泣いていた。

かごめちゃんが愛しくて幸せになってほしくて犬夜叉にキレてた。

あれくらい強く心を捧げるコンテンツを見つけたい。

 

¥399の檻

以前、物を捨てる罪悪感について記事を書いた。

物を捨てることにものすごく抵抗感があって、物が溜まっていく。

部屋を綺麗に保ちたいのに、ビニール袋とかたまるし人から貰ったものは尚更捨てられない。

「捨てられたら楽なのに」捨てるのが苦しくて、とりあえずダンボールとかに入れてしまう。

以前の記事でも「母からもらった簡易ゲーム機が捨てられなくて、捨てるのに苦労した」って書いた。

簡易ゲーム機はほんと簡易なもので、テトリスをはじめとした20種くらいのパズル系ゲームができるってもの。電池式。

DSとかそういうのには遠く及ばないけど、でも2000円くらいはするかなって。

母が私のために買ってくれたゲームなんだ、と思うと捨てられなくて。

母の2000円を捨てられなかった。

 

でも先日ドンキで同じゲーム機が売られてるのを見つけた。

お値段¥399。

 

やっす〜!!!!!!

は?やっす!!!!!!!

なにこれ、私¥399のために捨てられなくて苦しんでたの?

は?いや、¥399て。

気持ちは値段じゃないとかそういう説もあるけど、値段に気持ちは含まれるでしょ。

綺麗事言うのやめよ。

高いもの、いいものあげたいって気持ちは値段に反映されるって。

 

なんかこんな安いものに苦しまされたのかと思うと腹がたつというか悔しかった。

母ずるい。

私が苦しんだことで傷ついてほしいとか、私に疎遠にされたことで悲しいと思ってほしい。

新しい家族が欲しいと思うこのごろです。

私はあなたの一番にはなれない

最近全然更新してなかった。

単純に書くのに割く時間がなかったからなんだけど、一旦更新を止めると次に何を書いたらいいのかわからんくなる。

単純に精神が安定してるってのもある。

相変わらず吐くのは変わってないけど、それで病んだりはしていない。

 

いや吐いてるんかい!

って感じだけど、私の過食嘔吐に関してはもう…なんていうのかな、ストレスを発散させるために依存しているものだから仕方ないのだ。(今のところはね)

タバコ吸ったりお酒飲んだりするのと同じようなものだ。

徐々に禁煙なり禁酒なりしようとしてるってだけ。

 

ただ、過食嘔吐の何が面倒くさいかって、タバコや酒は吸わなくても飲まなくても死なないし、口寂しいなら飴をなめるとか、タバコ・酒の代わりを作れる(満足感があるかどうかは別)

でも、食べ物って、「食べなきゃ死ぬ」から厄介だと思う。

絶対に断ち切れるものじゃない。タバコだけ吸って生きていけるわけでもなけりゃ酒だけ飲んで生きていけるわけでもない。

完全に断ち切ることができないからバランスをとるのが難しいなあと思う。

 

そもそも「食べて吐く」のは根底に「太りたくない」気持ちがあるからで、じゃあなんで「太りたくないのか」っていうと、体重が増えることでデブになることで愛されなくなる、承認されなくなる恐怖があるんだと思う。

友人各位は私が太ろうが太っていまいが、ガリガリだろうがなんだろうが態度を変えないと思うし実際に変わらなかった。

内心どう思っているかは分からないし、心配されたり、思うところはあると思う。

ただ「表面上」は変わらなかった、私に接する態度が変わることはなかった、私がどうなろうと、友人各位は仲良くしてくれた。

 

だからそこに関してはもう安心しているし、特に心配なこともないし友人各位には大感謝してる。

 

ただやっぱりネックになるのが家族関係で、母やら親類にどう思われるかが不安で仕方ない。

だって私がこうなったことで家族関係は明確に変わったからだ。

私は痩せほそったことで母に心配されるようになった、前よりも連絡が増えたしかまってもらえるし優しくしてもらえてる。

これが「愛されていること」の証明かどうかは分からないし、24歳にもなってまだ母親の愛情がほしいのかよって笑われそうだがほしいもんはほしい。

もっと「お母さんに愛されていること」の確証がほしいのだ。

 

でも多分それは無理だと思う。と、最近認めざるをえない。

私は「母親にとっての一番好きな存在」になりたいんだけど無理なのだ。

私はあの人の一番になれない。

あの人は私よりも自分の母であったり恋人の方が好きだし大事だと思う。

 

ずるい。ずるいずるいずるい。

 

おばあちゃんがずるい、私よりお母さんに大事にされるおばあちゃんがずるい。

母の恋人がずるい。私より財力も経験も知識もあって、お母さんに頼られて仲良くて、私にすら優しくしてくれて、私よりずっと長い時間母と過ごせる母の恋人がずるい。

 

ずるい。

 

みんな私より母に愛されてずるい。

 

私は成人式に行っていないので振袖を着ていないし、大学の卒業式にも行ってないので袴も着てない。

晴れの日を経験してない。

20代という若くて綺麗な瞬間、周囲が最大限に着飾り晴れ姿をのこすなか、私は何も残ってない。

現実がどうだかは知らないが、私の個人的なイメージとしては「大多数は親が晴れ姿を見ることを望む」し、「母が振袖を着ろって言うの」とか、そういう「家族に望まれて晴れ姿を披露する場」があると思う。

知らんけど。

でも私はそういうのなくて、周囲に晴れ姿を望まれることもなければ、自分で振袖を手配しして自力で地元の成人式に参加して、東京まですぐに戻る。なんてする気力はなかった。

大体振袖姿で長時間電車に乗るのも面倒くさいし、地元の美容院に着付けを頼むにも、朝早く東京を出るのは面倒だし。

これが親に望まれていたならまだしも、誰にも望まれてないのにやる意味ってある?みたいな。

 

今となっては行っておけばよかった…とも思ってないが、晴れ姿を一枚二枚くらいは撮っておいたらよかった、と思う。

写真だけ、自己満足だけど、自分が楽しいだけだけど、でも振袖か袴のどちらか写真だけでも。

自分で自分を愛してあげないでどうするのだ。

自分で「可愛いね」「綺麗だね」ってしてあげることの何が悪い。

まだやってないけど20代のうちにやっておこう…とは思う。

 

とまあ、一般的には「親に望まれる」晴れ姿を私は誰にも望まれなかった。

お母さんさぁ、私の晴れ姿に興味とかないのかなあ。

もうちょっとさ、私のこと見てくれてもいいんじゃないの。

おばあちゃんにはさ、年末に温泉旅行プレゼントしてたじゃん。

「おばあちゃんももう歳だし、せっかくだから」って。

なにそれ。「歳だから」っていう理由で、そんな風に心を尽くせるなら、私にだって「成人式なんだから」って、晴れ姿を望んでくれたって、いいじゃない。

仕事だって休んでよ、もうちょっと私に時間割いてよ。

おばあちゃんの旅行のためには仕事を休むのに、私は??

 

ずるい。

 

私より母に愛される誰かがずるい。妬ましい。

 

でもこれを母に訴えたところで「そんなことない」って言われるだけだし、実際に母に私と誰かを差別している気は全くないと思う。

ただ自然と「そうなってる」だけ。

意図的に差別されている方がまだいい。

無意識にやられてるって、もうつまり無意識のレベルで優先順位ができてるってことだよね。

 

つらい。ずるい。妬ましい。

 

最近いつもこういうとき、「家族を捨てれば楽になれる」と思う。

家族を捨てれば、彼らへの執着を捨てれば楽になれる気がして、でも捨てられなくて身動きできない。

けれど動かなければ変わらないので、本当は11月の三連休は実家に帰る予定だったしそういう連絡をしていたけれどやめた。

ついでに年末年始の帰省もやめようと思う。

できるなら友人と年越ししたい。

友人とぐだぐだガキ使でも見ながら笑って、年越しして、初詣にいって初売りに行ったりしたいです。

それができるお友達、募集しています。

お久しぶりの更新になりました

一週間くらい間があきました。

なんとなく感情が安定してたのと、「アクセス数を稼ぐために毎日更新しなきゃ」という枷から外れたかった。

一回決めたことは守らなきゃ、という意思が強いので「毎日更新しなきゃ」と思ってたんだけど、別にブログって私が好きな時に更新していいものだよね。

思考をまとめたものだしね。

毎日更新することを継続してると、そのルールを破ることが怖くなるというか、「やらなきゃ」っていう義務感が生まれて急き立てられるような気持ちになる。

一度でも「いいや」ってやめてしまえば、もうそっからは楽になれるので、これからのんびり更新してく。

 

多分食事に関しても同様で、「吐かなきゃ」「食べなきゃ」「我慢しなきゃ」っていう意識がすごく強いせいでコントロールできない。

自分ではコントロールできてると思っていても、実際は全然できていないからイライラするんだと思う。

自分で自分の食べるものを決めて、それで体を作って、ハッピーになるなり「食べすぎちゃった」って落ち込むなりすればいい。

なのに今は食べ物にハッピーにさせられてブルーにさせられて。

感情をコントロールするために食べるんじゃなくて、食べることに感情が支配されてるからつらい。

あと体重の数値と、体の内部が膨張してる感覚に支配される(何か食べた時とか飲んだ時とか、腹部や背中がじんわりと膨らむのを感じる。これが嫌)

 

ここ数ヶ月は体重の水位が46~48㎏くらいで、落ちてる時は46㎏、段々増えて48㎏くらい。たまに49㎏近くになって焦る。

焦りつつも「どうせ痩せる」と、下剤をたくさん飲んでまた吐くを繰り返して46㎏に近づいていくのが常だった。

 

46㎏はここ数ヶ月の私の体重としては低い側の数値だったけど、最近は46㎏、つまり「低い(軽い)」数値で安定している。

このままだと46㎏は私の体重では「高い(重い)」数値の基準になるし、実際体重が落ちてくと思う。

実際、背中周りとか胸とか、皮膚と骨が近い感じがするというか…なんだろうな、「べこっ」って凹んでる感覚がある。

体の内側の肉が少なくなっていく感覚、私と同じタイプの人ならわかると思います。

よくわかんないっていう方は指先とか、自分の体の中で一番肉の厚みが少ないところを意識してみて。

それが背中とか胸で、かつ圧迫されてる感じがある。

「あーなんか体重が低めで安定してきたなー嬉しいけどうーん」

と思いつつ、風呂に入って体を見たら骨ばってて気持ち悪くて引いた。

胸骨と鎖骨が浮き出て、肩峰も分かるし肋骨?あばら?もうっすらでてる。

 

骨の標本かよ!

 

みたいな。

ここで例にあげちゃうのは申し訳ないんだけど、アンガールズのお二人みたいな体系。これが女で胸も全然ないので、女体としての魅力ゼロじゃん…こんなん抱きたい男いないでしょ…って、抱かれる予定もなければ願望もないのに思った。

ただ、抱きしめられたい欲はあるし友達ときゃっきゃぎゅっぎゅしたいし、その時はやっぱり柔らかいほうがいいので、50㎏を目指そうかな?と思いました。

 

あと単純に新居で吐きたくないのと、キッチンとかトイレ汚したくない。

毎日掃除してるけど絶対気づかないうちに汚れているところがある。

こわやこわや。

でもおかげで新居は綺麗に保てている。寝室側で飲食しないし(軽いお菓子とかジュースはテレビ見ながら食べるけど)

狭いけどキッチン側でしか飲食してないし、なんとなく食べられるものも増えました。

最近はヨーグルトを食べるのに成功し、中に固形チョコが入ったアイス(チェリオ)を食べることに成功しました。

あと卵豆腐に飽きて以降はずっとベビーチーズにハマって食べてる。

個人的おすすめは明太子味とスモークチーズです。美味い。

この調子で一人でも食べられるもの増やしたい。

 

親友がきえた。

親友が消えた。

物理的とか死んだとかじゃなくて、存命してるけど連絡をとってない。

別に何かあったわけじゃない、喧嘩もしてないし、夏に一緒にディズニーのコンサートに行った。

 

それ以降一切連絡をとってない。

私自身、親友に対して我慢できないところがたくさんあって許容量を超えてしまったし、それはきっと向こうも同じだったんだと思う。

怒りはないけど悲しい。

 

もう少しちゃんと話し合えていたら今でも親友は生きていたのかもしれない。

私たちはお互いに親友をなくしたんだと思う。

過去の記憶の中では親友は変わらなく親友だし、今でも私は彼女が大切だ。

けれど親友のために何かしてあげたいとかはなくて、幸せでいてくれたらいいな、とは思えど、彼女の幸福の理由になりたいとは思わないし、幸福も祈れない。

幸福を祈れなくなったら終わりだと思う。

 

なんでこうなったのか、どうしたらまた戻れるかは分からないけど、とりあえず幸せでいてくれたらいいな。と。

 

思う反面、連絡返せやてめ〜!!!!!!!!!!!!!!とたまにめっちゃ怒りが湧きます。