摂食障害でいることの安心感
いつまで摂食障害なんだろうなーとふと思う。
というか、今はもう私は48㎏もあって、摂食障害とはいえないのかもしれない。
身長167㎝48㎏。普通っていうか、私からしたら大分太った思う。
世間一般的には「痩せている」部類かもしれないけど、私からしたら「太っている」部類で、幸せを貰える数字じゃない。
摂食障害という異常者であることと引き換えに
温かみをもらえる。
存在してもいい、生きていてもいいって許される気がする。
苦しむ代わりにガリガリで痩せ細る代わりに生きることの許可をもらえる気がして楽になる。
これが普通になったら周りに、家族に心配してもらえないし、一人になる気がして怖い。
もう太ってたあの頃に戻りたくない。
私が太っていた頃、あの頃は素直に気持ちを言うこともできなかったし家族との関わりも希薄だった。
病気になったおかげで私は素直に話せるようになったし、「会いたい」とかおばあちゃん家に泊まりたいって言えるようになった。
お母さんも私によくかまってくれるようになった。
太っていたあの頃、私は「会いたい」とか「おばあちゃん家に泊まりたい」とか「もっと一緒にいたい」とか素直になれなくて苦しかった。
母も私のことは放っておいても平気だと思ってたと思う。
でも本当は全然そんなことなくて、24歳になった今更、子どもの頃をやり直すみたいに素直に話してしまうし、誕生日を祝ってもらえると嬉しい。
こういう状況になれてるのは病気になったからで、摂食障害を手放したら「もう大丈夫」って思われて、また放置されるんじゃないかと怖いんだと思う。
私が周囲に優しくしてもらうためにはずっとガリガリでいなきゃ、ずっと異常者じゃなきゃいけないんだと思う。
本当は多分そんなことないし、そもそも24にもなって親に心配かけて、気にかけてもらえて嬉しいとか何言ってんだって感じなんだけどね。
摂食障害という異常性は手放すにはまだ私には勇気が足りない。
もしも親のことがどうでもよくなったら、母のことも父のこともどうでもよくなって家族に執着しなくなって、摂食障害も手放せるのかなって。
家族を捨てたら楽になれるのかなぁってぼんやり考える。
過食嘔吐と依存
結局私は摂食障害に頼りきりだし過食嘔吐に依存してるんだと思う。
他のことに依存できたらまた状況は変わると思うんだけど、今のところ一番落ち着く依存手段は過食嘔吐なんだから仕方ない。
食べて吐くだけなんだけど、食べていい=緊張感からの解放 だから安心できる。
おなかいっぱいになったらやっぱり多幸感に包まれる。私の体はそういう風にできているんだと思う。
あとぶっちゃけ、今更まともにダイエットする気にぜーーーーんぜんなれない。
だってダイエットめっちゃくっちゃつらいんだもん。
ダイエットっていうか、「拒食期」なんだけど。
何も食べられなくて食べるのが怖くて水も少ししか飲まなくて、ひたすら歩いて動いて走って、カロリーに怯えて。
何か食べたくてスーパーやコンビニで食品を手にとってはカロリーとにらめっこ。
10キロカロリーでもとったらいけない気がして、考えて考えて棚に戻す。
神経がすりきれそうになる。
あれはあれで辛いからもうやりたくない。
だったらお金はめっちゃかかるけど、たくさん食べてたくさん吐いてる今の方が楽だ。幸せだし美味しい。
本当の幸せかは分からないけど、食べてる瞬間は幸せだし、パンパンに詰まったおなかが楽になっていくのも幸せ。
ここに幸せがあります。
このブログのタイトル通り
引越し見積もりサービスを利用してみた話と過食嘔吐から抜け出したい話
しつこ~~~~~~~~~!!!!!!!!
引越し無料見積もりサービス依頼時に「電話とれないのでご遠慮ください」って書いたのに電話がガンガンなる~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!
どうもこんにちは◯しろまるです。
引っ越し進捗です。
とりあえず引っ越しの見積もりとらんとなーと思って、「引っ越し 見積もり」で検索して上の方に出てきた見積もりサイトを利用しました。
いやーーー電話が鳴る鳴る。
分かってるよ、営業しなきゃいけないもんね??
一応私もウェブ系の会社で働いているし無料見積もりを取り扱ったりもしているので、まあこういうサービスの料金形態とか、業者も必死になるのはわかる。
わかるけど、電話をかけてくるなって言ったのに日本語読んでなかったんかい~!!!!!!!!
ぜttttttttttったい電話かけてきたところには依頼しません。
丁寧なメールだけのところに依頼したい所存…ですがまぁ安かったところでやるんでしょうね。お金は大事です。
何故今の時期に引っ越しをするのか?
怒りが収まったので少し書こうと思います。
10月半ば、何故今の時期に引っ越しをするのか?
上京したわけでもなければ職場が変わったわけでもなく、特に引っ越す必要はなかったのに何故今引っ越すのか?
「部屋が汚い」からです。
それだけです。
っていうか、ずっと周りに「引っ越せ」って言われてました。
私の家の周り、治安が悪いのか、私が変なものを引き寄せやすいのか…下着ドロ何回かやられてるんですよね。
いや、まぁこれは1階に住んでるくせに外に洗濯物ほしっぱで出かけてる私が悪い。自業自得。とるやつが一番悪いけど。
あと家の中にも入られてる。スーツとかコートとかなくなってるし、普段ぜっっったいに開けない窓があいてカーテンが挟まってたことがありました。
なーーーんか窓の締まり悪いな~と思ったら「そういうことかーい!」みたいな??
いや、「みたいな」じゃないですよね。
私がめちゃくちゃ不用心なんですね、1階に住んでるくせに。
流石にもう外に洗濯物干してないし、部屋の窓のカギは必ずしっかり閉めてます。
でも下着ドロ何回かやられてるし、そもそも家の中にも入られてるのに、
「気持ち悪くないの?そんな家に住んでるの」
って周りから言われました。
うーん確かに気持ち悪いけど、死ぬわけじゃないしなー引越しの手続き面倒くさいしなーていうか強盗とか入ってきて殺してもらえるならラッキだなーーと思って住み続けること数年。
部屋が汚い!!!!!
本当に汚い!!!!!こんな汚い部屋じゃ友達も呼べないわ…もう何度ハウスクリーニングよぼうかなって思ったことか知れません。
でもハウスクリーニングするならいっそ引っ越してしまおうと思ったのです。家賃も高いし。
そんなわけで、上京して下着ドロにあったりしつつ、友達を招いたり歌ったり踊ったり、ダイエットをし始めて摂食障害になって食べられなくなって、過食嘔吐になって吐き続けたこの部屋と別れることにしました。
そう、「部屋が汚い」っていうのもあるんだけど、理由の一つにこの部屋が私にとって「負の遺産」ということもあります。
過食嘔吐になった部屋
部屋が悪いわけじゃないよ。私が悪いの。
電気がついてると明るくて落ち着かなくなってしまって、暗い部屋の中、パソコンとキッチンの明かりだけをつけて、ひたすら食べて吐き続けました。
大して美味しくもないものを大量に作って、フライパンから直接食べる。
油がはねて部屋がテーブルが汚れるし、乗り切らないからいつからか床に新聞紙を敷いて、床で食べるようになった。
床に新聞紙を敷いてフライパンから直接ごはんを貪り、大量に水分をとってトイレに。
それを3時間も4時間も、仕事から帰ってきたら疲れて寝落ちするまでずーっと。
土日、予定がない日は、目が覚めたら食べて吐いて、「もうやめなきゃ」って思ってるのにずーっと食べて吐いて、おなかが疲れてうまく吐けなくなってきて。
食べて暑くなって汗をかいて、下剤を大量に飲んではドアにもたれかかって泥のように寝た。
ねぇ、負の遺産じゃないですか。
この部屋は私がずっと吐き続けていて、なんていうかこう…私にとってよくない負の遺産になってしまってるんだと思う。
部屋の中にいると安心する、いつでも食べて吐けるから。
部屋の中にいるのが怖い、食べて吐くことしかできないから。
「ここから抜け出そう」と思ったのが、今回の引越しの理由の一つでもあります。
あとは本当に部屋が汚かったのでね!こういう引越しの機会でもないと断捨離とかしないと思ったし。
新しい部屋は明るい二階だし、綺麗な部屋を保ちたい。
床でごはん食べるとかせず、せめて綺麗に作ってちゃんとテーブルに配膳して、美味しく食べて、部屋の中にいても吐くだけじゃないようにしたいと思います。
どんな部屋にしようか楽しみだなぁ。
とりあえず他の事務手続きとかぜーーーーーーーーぜんやってないのでやります。
あとマジで見積もりサービスで電話番号強制入力なところは電話がめっちゃかかってきてマジクソ腹立つのでやめよう(怒り再び)
20代OLが初めて一人で引っ越しをする
どうも◯しろまるです。まる。
今日は摂食障害とは全く関係ない話、引っ越しのことです。
このブログは摂食障害の話が多いけど、私の考えとか日常のこともまとめているので今回は日常メイン。
引越しをします
引越しをします。今月。
大学生の時に上京してから6年ほど今のアパートに住み続けている。
今月引っ越そうと思うっていうか、引っ越すために物件を探して内見して決めた。
無事審査も降りて、入居日(家賃発生日)も決まった。
でも正直、自分が何をしたらいいか分からない。
大学生の時は主に父が動いてくれた。
私はほとんど父に言われるがまま動いた、といっても家具選びにいったり荷造りをしたくらい。
事務的な手続きとかは全部父が行ってくれたので、今回が初めての引越しなのだが物件を決めたはいいけど何をすればいいかぜーーーーーーーーんぜんわからない。
ので、とりあえずネットで検索して「引っ越し時にやらなきゃいけないこと」をまとめてみようと思う。
引越しでやらないきゃいけないことってなに?
個人的に引っ越しでやらなきゃいけないことの予想。
- 荷造り
- 家具を買い足す
- 引越しやさんの手配(どこに連絡したらいいの?どこが安いの?)
- 大家さんに連絡(したけど転居日とかは決まってない。ていうか敷金とかどうなってるんだろ)
- 公共料金の明細の住所変更
- 各クレカ会社の登録住所の変更
- Amazonや楽天などの各通販の住所変更
- 住民票を移動さす
- 会社に連絡する
- 各知人に連絡する(必要であれば)
こんくらい?あってるかな?分からん。
ていうか①荷造り するにしてもダンボールとかどうしたらいいんだろ。
引越し屋さんくれるの?それとも自分で用意?
あと大きな家具とかどうしたらいい?処分とかどうする?
本当にタイムリーに洗濯機が壊れたので新しいの買うんだけど、古い洗濯機引き取ってくれたりするのかな?
そして古い洗濯機は引っ越す前の住所にあるけど、新しい洗濯機は新居に届けてほしい。これできます??
あと引っ越し屋さんはどこが安い?荷物の梱包とか大きな家具とか運ぶときどうすんの?
安いのに時期とかある?いらん家具の処分代とかどうなん?
各クレカ会社とか公共料金とか、家に支払い明細が届く系のやつ住所変更めんどくせ~!!!!!!!でもこれから届くやつもあるから早急に変えるべき。
10月中は今の家にいられるけど来月からは新居なんだからあかーーーーん。
はい、ざっと現状の悩みを書き出してみましたね。
色々考えなきゃいけないことがあって面倒で分からなくなって、全部丸めてグシャグシャポイしたくなる時は、全部書き出すことにしてる。
自分の頭も整理できるし問題点が可視化できて楽だよね。
引越しでやらなきゃいけないこと
「引っ越し やること」検索。
- 引越しの見積もりをする
- 大家さんに退去日・大まかな引越し作業日を連絡する
- 何をいつまでにやらなきゃいけないのかスケジュール確認
- 引越しで出た不用品の処分
- 荷造り(一人暮らしの目安はダンボール20個。すぐに使わないものから荷造りをする。靴や漫画など。)
- 荷造り(すぐ使うもの。タオルや歯ブラシ、洗剤)
- 役所手続き
- Wi-Fiの手続き(現在ポケットWi-Fi使用。新居にネットがあるので、ネットに不備がなければ解約を検討orネット回線が弱ければWi-Fi使用かつ格安SIMに乗り換え)
- 電気の停止
- ガスの停止→開栓手続き
- 水道手続き
- 郵便局の転送手続き(引っ越し後一年間は旧住居に届いた荷物を新居に届けてくれる無料サービス)
- ケーブルテレビの手続き(テレビって線繋いだら見られるんじゃないんだ…アホ)
- 各種配達サービスの手続き
- 各種通販サイトの手続き
- 通帳などの貴重品は自分で持っていく
- 旧住居の掃除(ちゃんと綺麗になってれば敷金の多くは返ってくるらしい。私は諦めてる。部屋が汚すぎるから。)
- 新居の清掃(荷物をいれる前がチャンスらしい)
- ダンボールの個数確認(紛失等がないように)
- 電気ガス水道の停止(閉栓は立ち合いが必要な場合がある)
- 鍵を返す
大体こんなもんかな?
とりあえずまずは引っ越しの見積もりをするのと、物をガンガン捨てていきたいと思います。
新居は綺麗で可愛くていい感じに保つぞ~!!!!!!!
過食嘔吐が続いた先の未来
摂食障害であることを恥ずかしいと思うし、過食嘔吐しかしない毎日がむなしいとも思う。
いつも食べ物のことを考えていて、仕事が終わったら過食嘔吐するための食材を買い込む。
今はもうほぼ吐けるけれど、それでも一応「吐きやすい」順番があるので、食べる順番をあれやこれやといつも考えている。
食べるために吐いて、吐くために食べて、吐き疲れて眠るまで食べて吐く。
定時退社して早く家に帰っても何もできない。
食べて吐いてるだけ。食べている時が一番落ち着く。食べ物が私の癒しで、嘔吐は太らない魔法だとすら思う。
そう思ってるのは真実なんだけど、むなしく感じてるのも事実だ。
食べて吐くばっかりの人生。いつまでたってもまともに食べられなくて、帰ったら吐くだけだし遊んでても何か食べたら吐く。
時間がもったいないし友達にも申し訳ない。
一人で趣味なんて楽しめるはずもなくて、私の人生なんなんだろう?って思う。
いつになったら治るんだろう。
どうやったら治るんだろう。
治るってどういう状態なんだろう。
ごはんがまともに食べられないだけの病気ってなんなんだろう。
太るのが未だに怖いのか。
胃の中に食べ物が残っているのが怖いのか。
今はまだ20代だけど、もしこのままどんどん年を重ねていって、30代になっても40代になってもまともにごはんが食べられなくて、おばあさんになっても吐いてたらどうしよう。
誰かと付き合ったり結婚したりできるんだろうか。
結婚するかもしれない誰かに、私は自分が過食嘔吐だってこと言えるんだろうか。
想像するだけでも恥ずかしくて絶対に言いたくない。
でも治る気もしないし(特に治すことに焦ってないし)、誰かと付き合う予定もない。
結婚しても吐き続けてたらと思うとゾッとする。
っていうか、一生一人で吐き続けてたらと思うとゾッとする。
本当に怖い。
生理ももう止まってるし、下剤乱用してるせいで腸機能は弱まってるし、親類縁者関係が面倒だから結婚願望もない。
あとそもそも性行為好きじゃなくて異性に性的な目で見られるのが得意じゃない。
自分の痩せて胸もない体にコンプレックスがあるせいかもしれないけど、抱いても楽しくないと思っちゃうし。
いつか誰かが
「これは地獄の始まり。
これからはずっと食べ物のことしか考えられなくて体重に囚われて、誰かとごはんを食べられないから遊ぶ機会も減って一人になって、一人でずっと吐いて痩せて化け物みたいになるんだろうね。
おめでとう」
みたいなことを言っていた。
本当にその通りかもしれなくて、ゾッとしたことを覚えてる。
今は幸せだし、誰かと遊んだり友達と笑いあったりできる今、ここに幸せはあると思う。
ここから幸せがなくなったらどうしよう。
いつか治せたら、食べ物以外の幸せが得られるんだろうか。
摂食障害という自覚
摂食障害という自覚
摂食障害って改めてなんぞやーっていうと、正直私もよくわからない。
簡単に言っちゃえば、過食・拒食・過食嘔吐・非嘔吐過食などなど、様々な形があれど、「食事がまともにとれないこと」だと思う。検索すれば辞典なりWikiなりがたくさん出てきて教えてくれると思うので、定義に関してはそちらをどうぞ。
何が問題かって、この病気って中々自覚が生まれないことだと思う。
水を飲む「許可」
過食嘔吐になって4年目に突入した。
21歳から過食嘔吐で毎日食べて吐くようになってから、まともに自分の力で、「食」をコントロールできたことはほぼないと言っていいと思う。
食べたら吐くし、吐ききるまで吐き続けるし、吐くために食べる。
ピークにひどかった時期は水を飲むのも怖かった。
夏の暑い日だろうと水を飲むのが怖くて、自分の体重が増えるのが怖くて、下腹部の膨らみが恐怖で、少量の水をわざと喉を鳴らして飲んだ。
ゴク、ゴク、ゴク。
喉を鳴らしていいのは3回までだった。
でも夏の暑い日、喉は乾くし水は飲みたい。喉を通る水が爽快で、つい我慢できなくなって飲んでしまうともう吐くために飲み続けた。
一度に1リットル以上水を飲んで、それさえも全て吐いてすぐに体重計に乗った。
0.1kgの水さえも私の体に残ることは許せなかった。
今は水を飲むしお茶を飲むし、砂糖が入った紅茶も飲める。
「じゃ、摂食障害じゃないじゃん」
って、摂食障害の人は思うのかもしれない。
でも多分普通の人からしたら、水やお茶が「飲める」ってなんなんだって思うかもしれない。
一体何ができれば、何を飲んで何を食べられれば「治った」ということになるんだろう?
摂食障害ってなんなんだろう。
そもそもこれって病気なのかな?って今でも思う。
ただ食欲がコントロールできない甘ったれだと言われたこともあるし、自分でもそう思うことはある。
ただちゃんと一人前の量を食べて、吐かずにずっと我慢すればいいだけ。
そんなことは分かっているんだけど、一人前じゃおなかいっぱいにならないし、もっと食べたくて仕方がないし、おなかをパンパンにして全部吐きたい。
一種の「依存」なのかもしれない。
元々食べることは好きだし美味しいし、おなかをいっぱいにしたい。
でもパンパンに膨らむと苦しいし、太るし太りたくないし、だから全部吐く。
そうすると、「食べたものを全て吐く」という課題が「成功」した気がして、達成感のようなものを得られる。
私にとっては食べたものを全て吐くことは「成功」なのだ。
食べたものを吐くっていうだけなんだけど、「吐かなきゃいけない」から、「やらなきゃいけない」ことを「できた」ことは成功に繋がって達成感を得られる。
食べる→吐く→何度も吐く→からっぽになる
っていう、やらなきゃいけないことのプロセスと、やった後の結果がはっきりしているから「成功」を積み重ねやすくてついやってしまうのかもしれない。
あと、4年もやってると流石に癖になってしまうし食べて吐くという成功に依存してしまってるんだと思う。
暇だったりやることや予定がないと、っていうか誰かと一緒にいない限りは食べて吐いてる。落ち着く。
まぁそうすると休日とか本当にずっと食べては吐いて疲れて寝落ちして、起きてまた食べて吐いて、下剤を大量に飲んで泥のように眠って、腹の痛みと体の内側をえぐるような吐き気に苦しみつつ、またたくさん食べて吐くために食べ物を買いにいって、気が付いたら一日が終わってる。
改めて文字に起こしてみると、尚更自分って何やってるんだろうって思うしくだらないし本当に惨めだ。
惨めで情けないことも分かってるのに、何回も何回も吐くだけの休日を迎えるたびに「これが最後」って思いながら、火傷して味もあまり分からなくなった口に食べ物を放り込んでいる。
「もうやめよう」「これが最後」を何回繰り返したか分からない。
休日が怖くなった。予定が入っていなくて一人っきりの休日は、家でひたすら食べて吐くだけだから怖くて怖くて仕方がない。
いつになったらこれが終わるか分からないんだけど、少しずつ食べられるものも増えてきたし、体重に対して強気になれているから、悪化しているわけではないんだと思いたい。
「どうせ痩せられるから」と体重に対して強気になる
最近では下剤を大量に飲んだり、35㎏まで痩せた経験があるからか「どうせ痩せられる」と強気になれている。
これが正しいのかわからないけど、おかげで食べられるものが増えた。
クッキーとか最近食べられる。
そもそも仕事中に空腹でイライラしたら仕事にならない。
給料をもらっているくせにそんなの許せないから、「仕事をするためだから」だから食べられる。
給料をもらうために働く、そのために食べる。
もちろん太る不安はある。できることなら食べたくないんだけど、でもどうせあとで下剤飲むし、
「一度あそこまで痩せたんだから本気出せばまた痩せられる」
っていう自信もある。
正しくはないんだけど、でもどんな形であれ食べられるものは増えたし楽になった。
色んなことに対して諦めたり妥協すると楽になれるな~、と感じる。
今私と同じように過食嘔吐の人で何も食べられない人は、何かを諦めたり妥協したりするのも手なのかもしれない。
摂食障害という自覚と判定
私は今現在「過食嘔吐」型の摂食障害なんだけど、時期によっては拒食だった。
元々食べることが好きだから少々「過食」の気もあったのかもしれない。
本当に過食症や非過食嘔吐で苦しんでいる人からしたら「大したことないふざけんな」って怒られるかもしれないんだけど、でも「摂食障害の自覚」がテーマだから一応話させてください。
過食嘔吐、拒食、過食(気味)の3パターンを通ってきて思うんだけど、摂食障害って自分でも中々認識できないし他人からはもっと認識されない。
拒食だった頃はただのダイエットだって思われるし、過食嘔吐はあとで吐いてるからトイレが近いだけの奴だし、過食はただの食いしん坊なデブだ。
過食嘔吐は流石に「ちょっとこれは」と思うけど、拒食・過食に関しては「ダイエット」と「食べすぎ」だという認識だから、摂食障害だなんて思えない。
特に過食の場合、食べる量をコントロールできないのは甘えだと思われるし、食いしん坊なだけだと思われるから余計に自覚が生まれないと思う。
でも自覚しちゃうと一気につらくなると思う。
正直、私は過食症はつらいと思う。
だって私は食べたら全部吐けるし、どっちかっていったら痩せているから周りには食べることをすすめられるし、痩せすぎな時期は心配してもらえた。
服だってある程度自由に選べる。
何より、食べておなかが苦しくなったら全部吐いて楽になれる。
誰だって一度は「食べすぎて苦しい」状況を経験したことがあると思うんだけど、私はそこからすぐに抜け出せる。抜け出してまた食べられる。だからこそ泥沼にハマるんだけど、過食の人はおなかがいっぱいでも食べてしまう。
おなかがいっぱいで苦しいのにそれでも食べて、苦しくて、太ってしまって、周りには心配されないしいじられたりするし楽になれない。
何が言いたいのか段々分からなくなってきちゃったんだけど、摂食障害って「自覚」しないと治せない。でも自覚が生まれづらいものでもあるから、なおさら難しいよなって。
私もまだまだ食べて吐くけど、タイプは違えど食行動がまともになれない人たちが、「食べ物」から解放されて楽になってくれたらいいな、と思う。
生きることの許可について
生きている代わりに
生きている以上何かしらの還元性というか対価を払わなければならないと思う。
幸福を感じるならどっかで不幸じゃなきゃいけないし、苦痛を感じなきゃいけない。
食べる幸福を得るなら吐くなりなんなり苦痛を払わないといけない気がしてままならない。
何か商品を購入した時にお金を払うように、使った道具を片付けるように、何かを得たら何かを払う。幸福を得るなら不幸を得なきゃいけないと思ってしまう。
ただただ幸福を得るだけってできるんだろうか。
食べる幸せを得る代わりに吐く苦痛を払う
割と体重が戻った今でも本当は痩せ続けなきゃいけないと思うし、痩せていたいし痩せると安心する。
自分が減る分、苦痛を伴う分存在することを許されてる気がする。
ピークだった時よりはずっとずっと生きやすいけど、治ったフリしてぜーんぜん治ってなくて、友達とごはん食べてこっそり吐いて、平気な顔して誤魔化してるとふとした瞬間死にたくなる。
友達と楽しい時間を過ごした後、家で一人で大量に食べて吐いていると死にたくなる。むなしくてみっともなくて泣きながら食べて吐いて、くだらないって分かってるのに美味しくないって分かってるのに、とにかく胃に詰め込んで、全部吐くまで眠れない。
食べるなら吐く。
いつからか食べることと吐くことがイコールになってしまって、食べたら吐かないと落ち着かない。
使ったお皿をずっと流し台においておけず、すぐに洗うのと似た感覚だと思う。
今割と食べても吐かなかったり長く胃においておけるのは
「どうせ吐けるし痩せられる」
と思ってるから。今よりも10㎏以上体重を減らすことができたあの時があるからで、何も根本的な解決はしていない。
なるべく休日に予定を詰め込むのは家の中に一人でいるとひたすら食べて吐いてしまうのが怖いからで。
寝る時間が遅いのも中々眠れないのも、ずっと食べて吐いて吐き疲れて気絶するくらいまでやってないと眠れない癖がついたからだ。
いっつも吐き疲れて気が付いたら眠って、数時間したら起きて、また食べて吐いてってしてしまう。仕事があっても毎日やる。食べて吐くために朝少し早く起きる。
胃の中をからっぽにするまで安心できなくて「このまま眠れたら幸せなのに」っていつも思う。
基本的に吐いてるから胃の中に何もないはずなのに、安心できなくて下剤乱用したりしてそのせいでめちゃくちゃおなか痛くて苦しくて。
それでまた体調を崩すし夜中に起きるしままならない。
生理ももう数年きてないし、下剤乱用のしすぎで腸機能が弱まってるのか自然排便がない。そもそも便になるほどご飯食べてないからかもしれないけど。でもこれは入院時もそうだった。
当たり前だけど仕事はちゃんとしなくちゃいけないしちゃんとやりたいっていうかせめて仕事くらいはきちんとやりたい。
でもいつも追い詰められてるような気がして仕事中も食べられるものが限られてるから気を張っていて早く解放されたい思いもある。
今更だけどこうなる前って私ってどうやって生きてたんだろう。
5年後
あと5年くらいしたら死にたい。
本当は早く人生に幕引きが訪れてほしいんだけど私は絶対長生きしてしまうと思う。
一時期めっちゃ体重が少なくなって毎日吐いて吐いて何も吸収せず、そのくせ下剤は30錠とか飲んでボロボロで、食べることしか考えられなかった。
食べることだけが楽しいのに、食べたら吐かなきゃならないし、外では食べられないし、たくさん食べないと満足できないから美味しくないものを食べて、食べるのが苦痛で死にたくて死にたくて。
でも死ぬ一瞬の苦痛が怖くて死ねなかった。
このまま体重が減り続けて「もう電池切れです」って終わる日が早く来てほしかった。
でも中々そんな日は来ないし、入院もして体重も増えて40㎏台になった。退院して早く体重を減らしたくてたまらなかった。
病院っていう安全で清潔な場所で、死ぬほどでもないくせにお医者さんや看護師さんに面倒を見てもらってるのが申し訳なかった。そんな権利私にはないと思ってた。
友人が心配してくれて、親だって仕事で忙しいのに数時間かけてお見舞いにきてくれて、
「平気だよ、治したいから頑張るよ」
って笑っておきながら、本当は体重を減らしたくて吐きたい自分が惨めで情けなかった。大学生にもなって何やってんだろう、周囲は就活して頑張ってるのに病院にいるのが恥ずかしかった。
ある日父といざこざが起こった。
もう病院にいちゃいけない、入院してる場合じゃないって切羽詰まって急いで退院した。
毎日吐いていた自宅に戻ったら、多くの私物が父に処分されていた。多分、父なりに「負の遺産」と化していた部屋をなんとかしたかったんだと思う。
でも私は思い出の品も沢山捨てられていて、悔しくて悲しくて思い出に申し訳なくて泣きに泣いた。友人に助けを求めて、みんなから背中を押してもらった。
この時のことがキッカケで父親から逃げられた。まだ全然つながってるけどほぼ没交渉になれたから、別に悪いことばっかじゃなかったと思う。
ただやっぱり無理やり退院したから、全然治ってないし私も体重を減らす気満々だったし、また退院する前のような食べて吐くばっかりの生活に戻った。また死にたくなる時が増えた。
でも体重が減ったのに死ねなくて、今は体重が増えたし、そう簡単には人間て死んでくれないんだって分かった。
体がだめなら心だと思って、一般的に「つらい」と称されることをしてみた。でもぜーんぜん死んでくれなかった。
私ってメンタル強いんだな~~~って分かった。
それに最近は友人関係も前よりずっとよくなった。みんな誘ったら遊んでくれる。
友達もいるし好きな人たちがいるし、普通に楽しいことがたくさんできたから余計に死ねない。今はまだまだ楽しいから、まだまだ死にたくない。
なんと24歳の誕生日はお祝いしてもらえて誕生日ケーキを食べました。それも二日続けて。誕生日当日、一人じゃなくて友達が祝ってくれて、母にも祝ってもらって、みんなでご飯を食べました。
どうですか?過去の私。うらやましいでしょ、24歳の誕生日はとっても幸せですよ。
来年の私はどうですか?去年の楽しさを思い出して辛くなったりしてますか?
今週はアクティブに遊びにいきます、楽しみだし毎日楽しい。
ただこの楽しさがなくなった時が怖いから、楽しいうちに死にたい。
生きてきたなかで今が一番幸せ。
小学6年生の自分からの手紙に「未来の私は幸せですか?」って質問があったけど、
「今が一番幸せだよ」
って胸張って答えてあげられる。
5年後の私はどうですか?そろそろ周りが結婚したり、母親との関係性がまた変わってきて、一人になったりすることが多いんじゃないでしょうか。
またそろそろ死にたくなってきてるんじゃないですか?上手に死ぬことはできそうですか?
多分できないと思います。どんだけ中身がボロボロになろうが私は丈夫だし、死ぬ苦痛は味わいたくないので長生きすると思います。
諦めて何とかしてください。もしくは頑張ってしんでください。
未来の私は幸せですか?