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摂食障害が生きやすくなるためにすったもんだするブログです。

摂食障害という自覚

摂食障害という自覚

摂食障害って改めてなんぞやーっていうと、正直私もよくわからない。

簡単に言っちゃえば、過食・拒食・過食嘔吐・非嘔吐過食などなど、様々な形があれど、「食事がまともにとれないこと」だと思う。検索すれば辞典なりWikiなりがたくさん出てきて教えてくれると思うので、定義に関してはそちらをどうぞ。

何が問題かって、この病気って中々自覚が生まれないことだと思う。

 

水を飲む「許可」

 

過食嘔吐になって4年目に突入した。

21歳から過食嘔吐で毎日食べて吐くようになってから、まともに自分の力で、「食」をコントロールできたことはほぼないと言っていいと思う。

食べたら吐くし、吐ききるまで吐き続けるし、吐くために食べる。

ピークにひどかった時期は水を飲むのも怖かった。

夏の暑い日だろうと水を飲むのが怖くて、自分の体重が増えるのが怖くて、下腹部の膨らみが恐怖で、少量の水をわざと喉を鳴らして飲んだ。

ゴク、ゴク、ゴク。

喉を鳴らしていいのは3回までだった。

でも夏の暑い日、喉は乾くし水は飲みたい。喉を通る水が爽快で、つい我慢できなくなって飲んでしまうともう吐くために飲み続けた。

一度に1リットル以上水を飲んで、それさえも全て吐いてすぐに体重計に乗った。

0.1kgの水さえも私の体に残ることは許せなかった。

 

今は水を飲むしお茶を飲むし、砂糖が入った紅茶も飲める。

「じゃ、摂食障害じゃないじゃん」

って、摂食障害の人は思うのかもしれない。

でも多分普通の人からしたら、水やお茶が「飲める」ってなんなんだって思うかもしれない。

一体何ができれば、何を飲んで何を食べられれば「治った」ということになるんだろう?

摂食障害ってなんなんだろう。

そもそもこれって病気なのかな?って今でも思う。

ただ食欲がコントロールできない甘ったれだと言われたこともあるし、自分でもそう思うことはある。

ただちゃんと一人前の量を食べて、吐かずにずっと我慢すればいいだけ。

そんなことは分かっているんだけど、一人前じゃおなかいっぱいにならないし、もっと食べたくて仕方がないし、おなかをパンパンにして全部吐きたい。

 

一種の「依存」なのかもしれない。

 

元々食べることは好きだし美味しいし、おなかをいっぱいにしたい。

でもパンパンに膨らむと苦しいし、太るし太りたくないし、だから全部吐く。

そうすると、「食べたものを全て吐く」という課題が「成功」した気がして、達成感のようなものを得られる。

私にとっては食べたものを全て吐くことは「成功」なのだ。

食べたものを吐くっていうだけなんだけど、「吐かなきゃいけない」から、「やらなきゃいけない」ことを「できた」ことは成功に繋がって達成感を得られる。

 

食べる→吐く→何度も吐く→からっぽになる

 

っていう、やらなきゃいけないことのプロセスと、やった後の結果がはっきりしているから「成功」を積み重ねやすくてついやってしまうのかもしれない。

あと、4年もやってると流石に癖になってしまうし食べて吐くという成功に依存してしまってるんだと思う。

暇だったりやることや予定がないと、っていうか誰かと一緒にいない限りは食べて吐いてる。落ち着く。

まぁそうすると休日とか本当にずっと食べては吐いて疲れて寝落ちして、起きてまた食べて吐いて、下剤を大量に飲んで泥のように眠って、腹の痛みと体の内側をえぐるような吐き気に苦しみつつ、またたくさん食べて吐くために食べ物を買いにいって、気が付いたら一日が終わってる。

改めて文字に起こしてみると、尚更自分って何やってるんだろうって思うしくだらないし本当に惨めだ。

惨めで情けないことも分かってるのに、何回も何回も吐くだけの休日を迎えるたびに「これが最後」って思いながら、火傷して味もあまり分からなくなった口に食べ物を放り込んでいる。

 

「もうやめよう」「これが最後」を何回繰り返したか分からない。

休日が怖くなった。予定が入っていなくて一人っきりの休日は、家でひたすら食べて吐くだけだから怖くて怖くて仕方がない。

いつになったらこれが終わるか分からないんだけど、少しずつ食べられるものも増えてきたし、体重に対して強気になれているから、悪化しているわけではないんだと思いたい。

 

「どうせ痩せられるから」と体重に対して強気になる

 

最近では下剤を大量に飲んだり、35㎏まで痩せた経験があるからか「どうせ痩せられる」と強気になれている。

これが正しいのかわからないけど、おかげで食べられるものが増えた。

クッキーとか最近食べられる。

そもそも仕事中に空腹でイライラしたら仕事にならない。

給料をもらっているくせにそんなの許せないから、「仕事をするためだから」だから食べられる。

給料をもらうために働く、そのために食べる。

もちろん太る不安はある。できることなら食べたくないんだけど、でもどうせあとで下剤飲むし、

「一度あそこまで痩せたんだから本気出せばまた痩せられる」

っていう自信もある。

正しくはないんだけど、でもどんな形であれ食べられるものは増えたし楽になった。

色んなことに対して諦めたり妥協すると楽になれるな~、と感じる。

今私と同じように過食嘔吐の人で何も食べられない人は、何かを諦めたり妥協したりするのも手なのかもしれない。


摂食障害という自覚と判定

私は今現在「過食嘔吐」型の摂食障害なんだけど、時期によっては拒食だった。

元々食べることが好きだから少々「過食」の気もあったのかもしれない。

本当に過食症や非過食嘔吐で苦しんでいる人からしたら「大したことないふざけんな」って怒られるかもしれないんだけど、でも「摂食障害の自覚」がテーマだから一応話させてください。

 

過食嘔吐、拒食、過食(気味)の3パターンを通ってきて思うんだけど、摂食障害って自分でも中々認識できないし他人からはもっと認識されない。

拒食だった頃はただのダイエットだって思われるし、過食嘔吐はあとで吐いてるからトイレが近いだけの奴だし、過食はただの食いしん坊なデブだ。

過食嘔吐は流石に「ちょっとこれは」と思うけど、拒食・過食に関しては「ダイエット」と「食べすぎ」だという認識だから、摂食障害だなんて思えない。

特に過食の場合、食べる量をコントロールできないのは甘えだと思われるし、食いしん坊なだけだと思われるから余計に自覚が生まれないと思う。

 

でも自覚しちゃうと一気につらくなると思う。

 

正直、私は過食症はつらいと思う。

だって私は食べたら全部吐けるし、どっちかっていったら痩せているから周りには食べることをすすめられるし、痩せすぎな時期は心配してもらえた。

服だってある程度自由に選べる。

 

何より、食べておなかが苦しくなったら全部吐いて楽になれる。

 

誰だって一度は「食べすぎて苦しい」状況を経験したことがあると思うんだけど、私はそこからすぐに抜け出せる。抜け出してまた食べられる。だからこそ泥沼にハマるんだけど、過食の人はおなかがいっぱいでも食べてしまう。

 

おなかがいっぱいで苦しいのにそれでも食べて、苦しくて、太ってしまって、周りには心配されないしいじられたりするし楽になれない。

 

何が言いたいのか段々分からなくなってきちゃったんだけど、摂食障害って「自覚」しないと治せない。でも自覚が生まれづらいものでもあるから、なおさら難しいよなって。

 

私もまだまだ食べて吐くけど、タイプは違えど食行動がまともになれない人たちが、「食べ物」から解放されて楽になってくれたらいいな、と思う。