ここに幸せがあります。

摂食障害が生きやすくなるためにすったもんだするブログです。

生きることの許可について

生きている代わりに

 

生きている以上何かしらの還元性というか対価を払わなければならないと思う。

幸福を感じるならどっかで不幸じゃなきゃいけないし、苦痛を感じなきゃいけない。

食べる幸福を得るなら吐くなりなんなり苦痛を払わないといけない気がしてままならない。

 

何か商品を購入した時にお金を払うように、使った道具を片付けるように、何かを得たら何かを払う。幸福を得るなら不幸を得なきゃいけないと思ってしまう。

ただただ幸福を得るだけってできるんだろうか。

 

 

食べる幸せを得る代わりに吐く苦痛を払う

 

割と体重が戻った今でも本当は痩せ続けなきゃいけないと思うし、痩せていたいし痩せると安心する。

自分が減る分、苦痛を伴う分存在することを許されてる気がする。

ピークだった時よりはずっとずっと生きやすいけど、治ったフリしてぜーんぜん治ってなくて、友達とごはん食べてこっそり吐いて、平気な顔して誤魔化してるとふとした瞬間死にたくなる。

友達と楽しい時間を過ごした後、家で一人で大量に食べて吐いていると死にたくなる。むなしくてみっともなくて泣きながら食べて吐いて、くだらないって分かってるのに美味しくないって分かってるのに、とにかく胃に詰め込んで、全部吐くまで眠れない。

食べるなら吐く。

いつからか食べることと吐くことがイコールになってしまって、食べたら吐かないと落ち着かない。

使ったお皿をずっと流し台においておけず、すぐに洗うのと似た感覚だと思う。

 

今割と食べても吐かなかったり長く胃においておけるのは

「どうせ吐けるし痩せられる」

と思ってるから。今よりも10㎏以上体重を減らすことができたあの時があるからで、何も根本的な解決はしていない。

なるべく休日に予定を詰め込むのは家の中に一人でいるとひたすら食べて吐いてしまうのが怖いからで。

寝る時間が遅いのも中々眠れないのも、ずっと食べて吐いて吐き疲れて気絶するくらいまでやってないと眠れない癖がついたからだ。

いっつも吐き疲れて気が付いたら眠って、数時間したら起きて、また食べて吐いてってしてしまう。仕事があっても毎日やる。食べて吐くために朝少し早く起きる。

胃の中をからっぽにするまで安心できなくて「このまま眠れたら幸せなのに」っていつも思う。

 

基本的に吐いてるから胃の中に何もないはずなのに、安心できなくて下剤乱用したりしてそのせいでめちゃくちゃおなか痛くて苦しくて。

それでまた体調を崩すし夜中に起きるしままならない。

生理ももう数年きてないし、下剤乱用のしすぎで腸機能が弱まってるのか自然排便がない。そもそも便になるほどご飯食べてないからかもしれないけど。でもこれは入院時もそうだった。

 

当たり前だけど仕事はちゃんとしなくちゃいけないしちゃんとやりたいっていうかせめて仕事くらいはきちんとやりたい。

でもいつも追い詰められてるような気がして仕事中も食べられるものが限られてるから気を張っていて早く解放されたい思いもある。

 

今更だけどこうなる前って私ってどうやって生きてたんだろう。