摂食障害でいることの安心感
いつまで摂食障害なんだろうなーとふと思う。
というか、今はもう私は48㎏もあって、摂食障害とはいえないのかもしれない。
身長167㎝48㎏。普通っていうか、私からしたら大分太った思う。
世間一般的には「痩せている」部類かもしれないけど、私からしたら「太っている」部類で、幸せを貰える数字じゃない。
摂食障害という異常者であることと引き換えに
温かみをもらえる。
存在してもいい、生きていてもいいって許される気がする。
苦しむ代わりにガリガリで痩せ細る代わりに生きることの許可をもらえる気がして楽になる。
これが普通になったら周りに、家族に心配してもらえないし、一人になる気がして怖い。
もう太ってたあの頃に戻りたくない。
私が太っていた頃、あの頃は素直に気持ちを言うこともできなかったし家族との関わりも希薄だった。
病気になったおかげで私は素直に話せるようになったし、「会いたい」とかおばあちゃん家に泊まりたいって言えるようになった。
お母さんも私によくかまってくれるようになった。
太っていたあの頃、私は「会いたい」とか「おばあちゃん家に泊まりたい」とか「もっと一緒にいたい」とか素直になれなくて苦しかった。
母も私のことは放っておいても平気だと思ってたと思う。
でも本当は全然そんなことなくて、24歳になった今更、子どもの頃をやり直すみたいに素直に話してしまうし、誕生日を祝ってもらえると嬉しい。
こういう状況になれてるのは病気になったからで、摂食障害を手放したら「もう大丈夫」って思われて、また放置されるんじゃないかと怖いんだと思う。
私が周囲に優しくしてもらうためにはずっとガリガリでいなきゃ、ずっと異常者じゃなきゃいけないんだと思う。
本当は多分そんなことないし、そもそも24にもなって親に心配かけて、気にかけてもらえて嬉しいとか何言ってんだって感じなんだけどね。
摂食障害という異常性は手放すにはまだ私には勇気が足りない。
もしも親のことがどうでもよくなったら、母のことも父のこともどうでもよくなって家族に執着しなくなって、摂食障害も手放せるのかなって。
家族を捨てたら楽になれるのかなぁってぼんやり考える。
過食嘔吐と依存
結局私は摂食障害に頼りきりだし過食嘔吐に依存してるんだと思う。
他のことに依存できたらまた状況は変わると思うんだけど、今のところ一番落ち着く依存手段は過食嘔吐なんだから仕方ない。
食べて吐くだけなんだけど、食べていい=緊張感からの解放 だから安心できる。
おなかいっぱいになったらやっぱり多幸感に包まれる。私の体はそういう風にできているんだと思う。
あとぶっちゃけ、今更まともにダイエットする気にぜーーーーんぜんなれない。
だってダイエットめっちゃくっちゃつらいんだもん。
ダイエットっていうか、「拒食期」なんだけど。
何も食べられなくて食べるのが怖くて水も少ししか飲まなくて、ひたすら歩いて動いて走って、カロリーに怯えて。
何か食べたくてスーパーやコンビニで食品を手にとってはカロリーとにらめっこ。
10キロカロリーでもとったらいけない気がして、考えて考えて棚に戻す。
神経がすりきれそうになる。
あれはあれで辛いからもうやりたくない。
だったらお金はめっちゃかかるけど、たくさん食べてたくさん吐いてる今の方が楽だ。幸せだし美味しい。
本当の幸せかは分からないけど、食べてる瞬間は幸せだし、パンパンに詰まったおなかが楽になっていくのも幸せ。
ここに幸せがあります。
このブログのタイトル通り