物を捨てる罪悪感から解放されるために
日曜日、ついに引っ越した。
今は新しい部屋にいるけど、ぜーんぜん片付いてない。
ゲロの合間に荷造りしてたからかなりギリギリになって、細々とした雑貨類はまとめてダンボールに放り込んだものだからごちゃごちゃしていて中々整理する気にならない。
っていうかまだ引っ越して一日しかたってないしね、これで完全に生活基盤整えようっていう方が無理だよね。あとベッド、洗濯機、レンジ等々の家具・家電がそろえたいです。
今回は旧居がきったねぇよって話をしたい。
いや、ほんっとうに汚い。ゲロし続けた部屋だから本当に負の遺産って感じ。もー色んなところドロドロみたいな。きったない。
絶対に新居はこんな状態にしたくないから戒めで書く。
「捨てる」という罪悪感から逃れたい。
私は元々物が捨てられない性格。特に人から貰ったものってぜーーーーんぜん捨てられない。
例えば私は絶対に使わないものとか、趣味の悪そうなキーホルダーとかベルトとか。
なんであろうと、「人からもらったものを活用せずに捨てる」のが耐えられなかった。
だからめちゃくちゃ物が溜まる。
いらんのに欲しくないのに、何故か物を捨ててしまうことが送り手に対して申し訳なくてできなかった。
入院していた最初の一周間ほど、私は室内しか行動を許されなかった。
朝起きて、検温して看護師さんの質問に答えて、朝食を食べたら暇。昼食を食べたら暇。夕飯を食べたら暇。夜、寝る。
めttttttttttttっちゃくtttttttっちゃ暇だった。
食べ物に囚われて、そっから抜け出したくて入院したのに、やることが食べることだけだからめちゃくそ暇だった。
お風呂は共同だから、同室の人たちと譲り合って入る。
でも清潔な病院内にいるし何もしてないので、毎日入る必要もなく2日に一回程度でいい。
「お風呂に入る」ことすらスケジュールに入れる暇さ。
ベッドの上で私はひたすら暇だった。
ゲロしてたら短い1時間がとても長く感じてつらい。
母に「めちゃくちゃ暇」と嘆くと、忙しい仕事の合間、茨城から東京までお見舞いにきてくれて、その時に「毛糸の手編みセット」的なのと、テトリスとかパズルゲームが内臓されたゲーム機をもらった。
母なりに私のことを考えて持ってきてくれたんだと思う。
高くないとはいえお金がかかってる。
この毛糸の手編みセットと、ゲームを捨てるのにめちゃくちゃ抵抗があった。
忙しい中、本当に忙しい中で疲れた体と心にムチ打って、わざわざお見舞いにきてくれたのに、私は毛糸もゲームもろくにやらなかった。
元々ゲームは飽きて続かず(ポケモンとか最初のポケモンを選んだ時点で飽きてる。惰性でライバルまで倒したら電源切るレベル。)、毛糸も別に好きじゃない。
あと大体こういう毛糸の手作り系って、素人が作ったものって実用レベルにいたらないので作ってもどうすんの?みたいな…。
そんなこんなで私はゲームも毛糸も大して活用せず、「楽しまずに」「役目を果たさせてあげられずに」いて、どうしても捨てられずにいた。
これは食べ物も同様で、安いからって大量に買い込んで腐りかけ(?)たり、不味くても、「味わって」「飲み込んで」あげないとって意識がすごく強くて。
「どうせ吐いてるじゃん」って言われればそれまでなんだけど、私は食べ物をきちんと「感謝して」「いただきます」して「味わって」「さようなら」しているのでいいじゃんって思ってる。
食べ物が完全に「娯楽」なので「美味しく味わえれば」いい考えなのだ。
役割を全うさせてあげられれば、あとはもう捨ててもいい。
なのに毛糸もゲームも全然役割を果たせてあげられてなくて辛くて。
こいつらは何もしてもらえないまま「いらない」ってされるのか、母の気持ちを踏みにじるのかって思うとつらくてつらくて怖くて捨てられなくて。
でも捨てた。
ごめん、ありがとう、受け取った気持ちを大切にするからさようならさせて。
ありがとう。私以外の持ち主に譲ってあげられたらよかったんだけど、それをしてたらキリがないから。
私に寄り添ってくれてありがとう。
一瞬だけしか楽しんであげられなかったけどありがとう。
毛糸もゲームも嫌いじゃないけど特別じゃないの。
いてもいいけどいなくてもよくて、いたら「邪魔」になっちゃう、だからさようなら。
ありがとう。
たかが毛糸とゲームなのにこんくらいつらい。
こんなんだから物が減らなくて、大分捨てたはずなのに、解きかけのダンボールにはまだまだいらないものが詰まってる。
開きながら少しずつ捨てていきます。
みんなありがとう。”過去”の私には必要だったかもしれないけど”今”はもう大丈夫。
身軽になりたいのでさよならさせてね。
次、ロフトベッドと洗濯機を引き取ってもらった時の話に続きます。