ここに幸せがあります。

摂食障害が生きやすくなるためにすったもんだするブログです。

どうせ摂食障害なんだから

摂食障害だってこと知られたくないけど知ってほしい。

誰かに「大丈夫だよ」って言ってもらいたい、心配されたい。

安心したい。

私には「私」としての価値がちゃんとあって、痩せてなくてもいい、食べて吐いてもいいけど吐かなくてもいいんだよって。

無理しなくていいよって寄り添ってもらいたい。

 

「吐いてもいいよ」って言ってもらいたいし

「吐くな」とも言ってもらいたい。

 

私が摂食障害だって知ってる友人たちは、私のこと本当はどう思ってるんだろう。

私が食べる姿を見て「吐くのかな」って疑ったりしてるんじゃないだろうか。

私がトイレにいく時「吐いてる」って思ってるんじゃないか。

私と吐いてる時「吐くなよ」って嫌がってるんじゃないだろうか。

 

同じ摂食障害の人だと、私も相手も吐くことが前提だから楽だ。

電話してる時、何かを食べる物音がするし私も食べる。

「出してくるね」

って言って、向こうの音が聞こえなくなる。少しして戻ってくるとまた食べてる。

 

誰かと一緒にいたいし誰かと一緒に食べたいんだけど、誰かと一緒だと食べられないし吐けないから焦る。

これが同じ摂食障害の人ならお互い分かってるから、吐きにいくのは楽だ。

 

でも周囲の人みんなが摂食障害じゃないし、普通に普通の友達ともご飯食べたい。

私はもう食べられるものもあるし、食べたとしても数時間は胃の中に放置しておける。

どうせ消化機能弱まってるし、どうせあとで吐けるし、どうせ最後は下剤たくさん飲むし。

「どうせ」っていう妥協のような諦めのような、そんな思い込みでのりきってる。

 

本当は「どうせ」じゃなくて、「せっかくだから」食べたい、とかそういう方がいいんだろうけどね。

ただ、一番痩せていたあの頃は食べ始めて20分したら吐いてた。

あの頃はもっともっと痩せててあの頃はもっともっと急いていて精神的な余裕がなかった。

 

今は限定的だけど食べられるものも増えたし、水分もとれるし、胃の中においておける時間も長い。「どうせ」も悪くない。

私と同じ人たちで、まだ「早く」出さなきゃ吐かなきゃって焦ってる人たちは「どうせ」痩せられるから、少し諦めたり投げやりになったらいいと思う。

 

今1㎏増えても、どうせ私たちの体は痩せてくよ。